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武内宿禰(5)日本書紀版 小山田斎宮と裂田溝(さくたのうなで)


武内宿禰(5)
たけしうちのすくね

小山田斎宮と裂田溝


〔神功皇后〕

小山田斎宮

仲哀9年の春2月に、仲哀天皇が筑紫の橿日(かしひ)宮で崩御されました。
この時、神功皇后は、天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に
心を痛めて、考えました。
祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。
そこで、群臣と百寮(つかさつかさ)に命じて、国中の罪を払い清め、
過ちを改めて、さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。

3月の壬申(みずのえさる)の1日に、皇后は吉日を選んで、斎宮に入って、
自ら神主となりました。そして、武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。
中臣(なかとみ)の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して
審神者(さにわ)としました。そうして、織り物をたくさん、
御琴の頭と尾のところに供えて、申し上げました。

「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。
願わくは、その御名を教えて下さい。」と。
七日七夜経って、ようやくお答えになりました。

「神風の伊勢の国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮にまします神、
名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつ
ひめのみこと)。」と。
烏賊津の使主がまた尋ねました。
「この神以外に他に神はいらっしゃいますか。」
お答えがありました。
「旗のように靡くススキの穂が出るように出た吾は
尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である。」と。
「他におられますか。」
天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神
(あめにことしろ、そらにことしろ、たまくしいりびこ、いつのことしろのかみ)有り。」
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
そこで、審神者が言うには、
「今答えずに、また後に出て来られることが有りますでしょうか。」
すると答えがあった。
「日向国の橘の小門の水底に居て、海草のようにわかやかに出てくる神、名は
表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)
の神がおる。」と。
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
ついに他に神がいるとはおっしゃいませんでした。
その時に神の言葉を得て、教えの通りにお祭りをしました。
(略)

裂田溝(さくたのうなで〕

すでに皇后は神の教えの霊験がある事を知って、さらに神祇を祝い祀って、
みずから西の方を討とうと思いました。
そこで神田を定めて作りました。

その時、儺(な)の川(那珂川)の水を引いて、神田を潤そうと思って、
溝(うなで)を掘りました。
迹驚岡(とどろきのおか)に至った時、大岩が塞がって、
溝を通す事が出来ませんでした。皇后は武内宿禰を召して、
剣と鏡を捧げて神祇に祈って溝を通すように言いました。
すると、すぐに雷が落ちてその岩を踏み裂いて、水が通りました。
こうして時の人は、その溝を名づけて、裂田溝(さくたのうなで)と言いました。


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