葛城襲津彦(6) 無礼な百済の王族の酒君を日本へ連行する

                                    【日本書紀】

葛城襲津彦(6)

無礼な百済の王族の酒君を日本へ連行する

【仁徳天皇の巻】

仁徳天皇41年の春3月に、紀角(きのつの)の宿禰百済に派遣して、初めて国郡の堺を明確にして、つぶさに生産品を記録しました。

この時に、百済の王族の酒君(さけのきみ)が礼をしませんでした。そこで、紀角宿禰は百済の王を責めました。百済の王は畏まって、鉄の鎖で酒君を縛って、襲津彦に渡しました。

こうして、酒君は(日本に連れて来られて)、石川の錦織の首(おびと)コロシの家に逃げました。騙して、「天皇はもう私の罪を許されたのだ。だから、そなたに預けられる事になった。」と言いました。久しくあって、天皇はついにその罪を許しました。

【履中天皇の巻】

イザホワケ天皇(履中天皇)仁徳天皇の皇太子です。母はイワノヒメの命と言います。葛城襲津彦の娘です。仁徳天皇の31年の春一月に皇太子になりました。
                      
                             (日本書紀の記事は以上です)



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by himeluna | 2010-12-04 19:52 | 葛城襲津彦かづらきそつひこ | Trackback | Comments(2)
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Commented by jumgon at 2010-12-01 22:00
花火で有名なPLの近くに「錦織神社」「錦織公園」があります。
そのあたりも渡来人が住んでいた地域です。
Commented by himeluna at 2010-12-02 09:08
そうですか。すると、酒君は百済人が既に住んでいるのを知って、逃げ込んだんでしょうね。ホントに錦なんか豪華なものを着ていて、すぐに傍目からも分かったのかな。
スペルボーン(Spellborn)