蘇我の稲目(3)百済伝来の仏像を礼拝する

                                    【日本書紀】

蘇我の稲目(3)

百済伝来の仏像を礼拝する

欽明天皇13年、冬10月に、百済の聖明王は西部・姫氏(きし)達率(だちそち・官名)ヌリシチケイたちを派遣して、釈迦仏の金銅像一柱と幡蓋を(はたきぬがさ)若干、経論を若干巻献上しました。

仏の教えが流通して礼拝する功徳を称賛して、
「この法は諸法の中で最も優れています。解り難く、入るのにも難しく、中国の周公も孔子も知る事が出来ないような内容です。この法は無限で、福徳果報があって、この上もない菩提の境地を得られます。

例えば、願いを叶える宝珠を持って用いると、ことごとく意のままになるように、この妙法の宝も祈り願えば思いのままで、足りないことはありません。

遠くはインドから三韓に至るまでに、この教えに従い捧げ持ち、尊んで敬わないものはいません。

そこで、百済の王臣の明(めい)が謹んで、陪臣ヌリシチケイを遣わして帝国にお伝えして、国内に流通するようにと献上します。釈迦仏が、『私の法は東に伝わるだろうと』と言われた言葉を果たす事になります。」

この日、天皇は聞き終えると大変喜んで、使者に
「私は昔から今に至るまで、このような精妙な法を聞いたことがない。しかし、私自身では決定はすまい。」と言いました。そして、群臣に一人ずつ尋ねました。
「西の国が献上した仏の顔は端厳である。こんなものを見たことがない。敬うべきかどうか。」
蘇我の大臣の稲目の宿禰は、
「西の方の国々はみんなこれを礼拝しているのなら、豊秋つ日本だけが背くのはどうでしょうか。」と奏上しました。

物部の大連尾輿(おこし)と中臣の連鎌子(かまこ)は、
「我が国家で、天下に王として君臨される所以は、天地の社に常におられます180の神を、春夏秋冬に祭礼されるからです。

今あらためて他国の神を拝むようなことをされたら、国つ神の怒りを招く恐ろしい事になるでしょう。」と同じ意見を奏上しました。

天皇は
「それでは賛成している稲目の宿禰に授けて、試みに礼拝させよう。」と言いました。

稲目の大臣はひざまずいて受け取って喜びました。そして小墾田(おわりだ)の家に安置しました。丁重に出家の業を修養して、依り所としました。向原(むくはら)の家を清め払って寺としました。

後に国に疫病が起こって、多くの民が死にました。それは長く続き、大勢の人が亡くなりました。防いで治療する事が出来ませんでした。

物部の大連尾輿と中臣の連鎌子は共に天皇に、
「以前、私たちの意見をお聞き入れにならなかったので、この疫病が起こったのです。すぐに元通りにすれば、必ず恵みがあるでしょう。早く異国のものを投げ捨てて、日本の神々に幸いを求めてください。」と奏上しました。
天皇は、「その通りにせよ。」と言いました。

有司(つかさ)はすぐに蘇我の稲目の家の仏像を取って、難波の堀江に流し捨てました。また伽藍に火をつけました。燃え尽きて、跡形も無くなりました。その時、風も雲もないのに突然、磯城島宮の大殿が燃え上がりました。
(つづく)


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by himeluna | 2011-01-23 11:59 | 蘇我の稲目 | Trackback | Comments(0)
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