神功皇后(10)東征

                                    【日本書紀】

神功皇后(10)

東征

戦勝を収めると軍に従った神、表筒男、中筒男、底筒男の三柱の神々が皇后に教えて言いました。
「我が荒魂を穴門の山田の邑に祭りなさい。」と。

その時、穴門の直(あたい)の祖、ホムタチと津守の連(むらじ)の祖のタモミの宿禰が皇后に言いました。
「神が鎮座したいと言われる所には必ず定めて祭られますように。」
そこで、ホムタチを荒魂を祭る神主にして、祠を穴門の山田の邑に立てました。

こうして新羅を討った翌年の春2月に、神功皇后は群臣・百寮を率いて、穴門の豊浦の宮に遷りました。そこで仲哀天皇の亡骸を収めると、海路で京に出ました。

その時、香坂王(かごさかのおう)と忍熊王(おしくまのおう)は
「天皇が崩御された。また皇后が西を討って、あわせて皇子が新たに誕生された。」
と聞いて、密かに話し合って、
「今、皇后には御子がいる。群臣はみな従っている。きっと共に謀って、若い御子を天皇に立てるだろう。吾らは兄なのにどうして弟に従えるか。」と言いました。

そこで偽って天皇の為に御陵を作るふりをして、播磨に行って赤石で御稜の構築を興しました。船団を編んで淡路島に渡して、その島の石を運んで造りました。

その時、一人ずつ武器を持たせて皇后を待ちました。犬上の君の祖、倉見別(くらみわけ)と吉師の祖のイサチの宿禰は共に香坂王に付きました。そして将軍として東国の兵を興させました。

一方、香坂王と忍熊王は一緒にトガノに出て、ウケヒ狩り(占いの狩)をして
「もし、事が成就するならば、必ず良い獲物が手に入る」
と言いました。

二人の王はおのおの仮の桟敷にいました。赤いイノシシが急に出て来て桟敷に登って、香坂王を食い殺しました。軍勢はみな恐れました。忍熊王は倉見別に
「これは重要な験(しるし)だ。ここで敵を待ってはならない。」と言って、軍勢を引いて戻り、住吉に駐屯しました。

この時、神功皇后は忍熊王が軍勢を起こして待っていると聞いて、武内宿禰に命じて皇子を抱かせ、迂回して南海に出て、紀伊水門に停泊させました。皇后の船はまっすぐ難波を目指しました。その時、皇后の船が海中でぐるぐる廻って、進めなくなりました。そこで務古水門に戻って占いをしました。

すると、天照大神が教えました。
「我が荒魂を皇后に近づけてはならない。広田の国に祀りなさい。」と。
そこで山背の根子の娘、葉山姫に祀らせました。

またワカヒルメの尊が教えて言いました。
「吾は活田の長峡(いくたのながお)の国にいよう。」と。
そこで海上(うながみ)のイサチに祀らせました。

また事代主の尊が教えて言いました。
「私を長田の国に祀りなさい。」と。
そこで葉山姫の妹の長姫に祀らせました。

また、表筒男・中筒男・底筒男の三柱の神が教えて、
「吾が和魂(にぎみたま)を大津のヌナクラの長峡(ながお)に祀りなさい。そこで往来する船を見守ろう。」と言いました。こうして神の教えのままに神々を鎮めました。すると無事に海を渡る事が出来ました。

忍熊王はさらに軍勢を退却させて、ウヂに行って、軍勢を立て直しました。皇后は南の紀伊の国に行って、日高で皇子に会いました。群臣と協議して、ついに忍熊王を攻撃するために、さらに小竹宮(しののみや)に遷りました。  


住吉神社 下関市一の宮町 ホムタチを荒魂を祭る神主と定めて、祀った穴門の山田の邑。


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by himeluna | 2011-03-05 10:48 | 神功皇后(息長帯比賣命) | Trackback | Comments(0)
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