神功皇后(11)忍熊王を攻撃

                                    【日本書紀】

神功皇后(11)

忍熊王を攻撃

この時、昼なのにまるで夜のように暗い日々が何日も続きました。当時の人たちは「常夜になってしまった。」と言いました。
皇后は紀の直(あたい)の祖である豊耳
「昼でも暗い原因は何だろうか。」と尋ねました。

その時、一人の老父
「言い伝えでは、このような怪異をアザナヒの罪と言うそうです。」と答えました。
「それはどういう事だ。」と尋ねると、
「二つの社の祝物(はふり)を、一緒に葬ったのではないでしょうか。」
そこで邑や里に調べに行かせると、ある人が、
小竹の祝(はふり)と天野の祝が、仲の良い友だったのですが、小竹の祝が病気にかかって死んでしまいました。すると天野の祝が血の涙を流して、
『二人は生きている間、親しい友だった。死んでも同じ穴に葬られたい。』
と言って、遺体の傍で自害しました。それで合葬したのです。もしかしたら、この事でしょうか。」
と言いました。

それを聞いて墓を開いて確かめると事実でした。そこで棺を改めて、別々に埋葬しました。すると、太陽が輝きだして、昼と夜の区別がはっきりとするようになりました。

3月5日に、皇后は武内宿禰と和邇(わに)の臣の祖の武振熊(たけふるくま)に命じて、数万の軍勢を率いて、忍熊王(おしくまのみこ)を攻撃させました。そこで武内宿禰らは精兵を選んで、山背から出ました。ウヂについて、川の北に駐屯しました。

忍熊王は陣営を出て戦おうとしました。その時熊の凝(こり)という者が忍熊王の軍勢の先鋒となりました。その時、自分の軍勢を奮い立たせようと思って、声高に歌を詠みました。
  かなたの あれあれ、あの松原 
  あの松原に 進んで行って、
  槻弓(つくゆみ)に 音の出る鏑矢(かぶらや)をつがえて、
  貴人は貴人どうし、親友は親友どうし、さあ闘おう。
  我は 闘おう。 霊力が極まっているという 武内の朝臣と。
  腹の中は 小石だらけのやつさ。
  さあ、闘うぞ、我は。

その時、武内宿禰は大軍に命じて、全員に髪を椎(つち)のように結わせました。そして号令をかけて、
「おのおの、控えの弦(ゆづる)を髪の中に収めよ。また木刀を腰につけよ。」
と言いました。そうして、皇后の仰せだと言って、忍熊王をだまして言いました。

「私は天下を取ろうとは思っていません。ただ、幼い皇子を抱いて、君王(忍熊王)に従うだけです。どうして、戦おうなどと思うでしょうか。
願わくは、お互い一緒に弦を絶って武器を捨て、ともに連合して和睦しようではないですか。そうして、君王は皇位を継承して、その席に安心して座り、枕を高くして、よろずのまつりごとを専制なさるがよい。」と。

そう言うと、はっきりと分かるように軍勢に命じて、全員に弓の弦を断ち切らせて、太刀をはずして、川に投げ入れさせました。忍熊王はその偽りを信じて、自分の軍勢に命じて、武器をはずして川に投げ入れて、弓の弦を切らせました。

そうすると、武内宿禰は大軍に号令をかけて、髪に隠した弦を出して再び弓に張って、真剣を付けさせました。そうして、川を渡って進軍しました。

忍熊王は騙された事が分かって、倉見別(くらみわけ)・イサチの宿禰に言いました。
「謀られた。もう、代わりの武器はない。どうして戦えようか。」
といって、軍を連れて少し退却しました。

武内宿禰は精兵を出して、追いかけました。ついに逢阪で対戦して、討ち破りました。それで、その地を名づけて逢坂と言います。忍熊王の軍勢は逃げました。

武内宿禰はささなみの栗林で追いついて、大勢を斬りました。そこに血が流れて、栗林にあふれました。それで、縁起が悪いと言って、今に至るまで、この栗林の木の実は御所に献上しません。

忍熊王は逃げて隠れる所が無くなりました。そこでイサチの宿禰を呼んで、歌を詠みました。
  さあ、我が君、イサチの宿禰よ。
  霊力が極まった 内の朝臣の 
  頭槌(くぶつち)の太刀にやられて 痛手を負わないとするなら、
  ニホ鳥のように 水に潜るしかない。
こうして二人共に、瀬田の渡し場で身を投げて死にました。

その時武内宿禰は歌を詠んで言いました。
  淡海の 瀬田の渡し場に 潜る鳥
  目には見えないので 本当に身を投げたかどうか分からなくて、
  溜息がでる。
そう言って、その遺体を探させたけれども、見つかりませんでした。こうして数日して、ウヂ川に出ました。武内宿禰はまた歌を詠んで言いました。
  淡海の 瀬田の渡し場に 潜る鳥
  田上を過ぎて ウヂで捕まえた。

(つづく)

昼間もなお暗くなったという話は、初めは何の現象か分からなかったのですが、火山が噴火して灰が世界中に廻って冷害をもたらした経験をした今、これはどこかの火山噴火による現象だったのではないかと、想像できるようになりました。

二人を合葬するという習慣があって、祀る神が違う人たちを合葬するのは罪であるという文化思想があったのが読み取れます。神が違えば氏族、人種が違う可能性もありますね。たまたま『ひもろぎ逍遥』で祇園山古墳人丸古墳で男女の合葬などを見たので、墓制を知る上で興味深い話に思われました。



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by himeluna | 2011-03-04 13:42 | 神功皇后(息長帯比賣命) | Trackback | Comments(0)
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