景行天皇(4)土蜘蛛と熊襲

                                    【日本書紀】

景行天皇(4)
土蜘蛛と熊襲


冬10月に碩田(おおきた)の国にやって来ました。その国は広くて大きくて美しくもありました。そこで、オオキタと名付けました。速見の邑(むら)に着きました。女人がいて、速津姫と言いました。クニの首長でした。

速津姫は天皇が来られたと聞くと、自ら迎えに出て言いました。
「この山に大きな石窟があり、ネズミの石窟(いわや)と言います。そこに二人の土蜘蛛が住んでいます。一人はといい、もう一人をと言います。

また直入(なおいり)の県(あがた)の彌疑野(ねぎの)には三人の土蜘蛛がいます。一人を打猨(うちさる)と言い、二人目を八田(やた)と言い、三人目を国マロと言います。

この五人はみな力が強く、仲間も多いのですが、みな「皇命には従わない」と言っています。もし強引に召せば、兵を挙げて手向かうでしょう。

天皇はそれは良くないと思って進みませんでした。そこでクタミの邑に留まって、仮宮を建てて住みました。それから群臣たちと話し合って、
「今、一挙に大軍を投入して土蜘蛛を完璧に討とう。もし我らの軍勢の勢いに恐れをなして、敵が山野に隠れてしまえば、後の憂いとなる。」
と言いました、

そうして、椿の木をツチ(ハンマーの類)に加工して武器にしました。それから強い兵士を選んでそのツチを授け、山を穿ち、草をはらって、石室の土蜘蛛を襲って、稲葉の川上で破り、ことごとく一党を殺しました。

血が流れて、くるぶしまで浸かりました。のちに時の人はその椿のツチを作った所を、海石榴市(つばきち)と言いました。また、血が流れた所を血田(ちた)といいます。

次に打猨を討とうとして、彌疑(ねぎ)山を通りました。その時、敵の矢が横から打ち込まれました。官軍の前に矢が雨のように打ちこまれました。天皇はいったん城原(きはら)に戻って、占って川のほとりに陣を構えました。

そして軍隊を整えて、まず八田を彌疑野で撃ち破りました。すると打猨は、これは勝てないと思って、「服従します。」と言いましたが、天皇は許しませんでした。打猨たちは皆、谷に身を投げて死にました。

天皇は初め、敵を討とうとして、柏峡(かしはを)の大野に宿りました。その野には石がありあました。長さ六尺(約180センチ)、広さ三尺(約90センチ)、厚さ一尺五寸(約45センチ)。
(※「初め」というのは、話を遡らせて、筑紫入りの時の話を挿入したのか? 綾杉)

天皇はウケイをして、
「私が土蜘蛛を滅ぼす事が出来るなら、この石を蹴ったら、柏の葉のように空に舞いあがれ。」
と言って、蹴りました。すると石は柏の葉のように大空に上がりました。そこからその石を踏石(ほみし)と名付けました。この時に祈った神は、志我の神、直入の物部の神、直入の中臣の神の三柱です。

11月に日向の国について、行宮を建てました。これを高屋宮と言います。

12月5日に熊襲攻撃を話し合いました。そこで天皇は群臣に、
「私は襲の国に厚鹿文(あつかや)・迮鹿文(さかや)と言う者がいると聞いている。この二人は熊襲の猛者であり、仲間も多い。この男たちを熊襲のヤソタケル(たくさんの猛者)と言っている。

強すぎて戦うには厳しい。こちらの兵士の数が少ないと敵には勝てない。しかし兵士を大勢動かせば、民の負担は大きい。何とかして武器に頼らず、平和裏に平定出来ないか。」
と言いました。

この時、一人の臣下が進んで言いました。
「熊襲タケルには二人の娘がいます。姉をイチフカヤ、妹をイチカヤと言います。美人です。また勇ましい心持ちです。豪華な品々を与えて、召し入れては如何でしょうか。そして親の消息を伺って弱点を突けば、刃に血を濡らさずに、敵は自然と敗れるでしょう。」
と。
天皇は「それはよい。」と言いました。

そこで、豪華な品々を見せて二人の娘を欺いて、召し入れました。
天皇はイチフカヤを召して、偽って寵愛しました。その時、イチフカヤは天皇に
「熊襲が従わないからと言って、心配しないでください。私によい案があります。兵士を一人ふたり私に付けてください。」と言いました。

そうして実家に帰って、強い酒を設けて、父親に飲ませました。父は酔って寝込みました。イチフカヤはこっそりと父の弓の弦を断ちました。その後、付いて来た兵士が熊襲タケルを殺しました。

天皇はその不孝のひどさを憎んでイチフカヤを殺しました。そして妹のイチカヤに火の国造を与えました。

13年夏5月に襲の国をすべて平定しました。こうして高屋宮に6年も住みました。その国に美人がいました。ミハカシ姫と言います。召して妃としました。豊国別皇子を生みました。この皇子は日向国造の始祖となりました。

ひとりごと
これは北部九州の話ですね。もう、この移動ルートは特定されているのでしょうか。いろんな角度からの情報をいただけたらいいな…。


◆現存する帝踏石はコチラ
「北九州のあれこれ」 
http://homepage2.nifty.com/kitaqare/tens15.htm


◆景行天皇の移動ルートの仮説はコチラ
「古 代 史 の 謎 を 解 く 旅 Ⅱ」
http://www.geocities.jp/oden1947/keiko371.html



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by himeluna | 2011-07-09 10:16 | 景行天皇・12代 | Trackback | Comments(5)
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Commented by jumgon at 2011-05-24 00:04
この頃、土蜘蛛の話にやけに出会います。それにしても、「天皇はイチフカヤを召して、偽って寵愛しました」なんてひどい話ですね。
運命の岐路にたった時、人間は占いに頼るのでしょうね。
Commented by himeluna at 2011-05-24 00:14
土蜘蛛、またシンクロしましたね。彼らは山の中で鉄や銅を掘って作ってただけなので、突然まつろえと言われても、無理だったでしょうね。
古代は卜占は多かったかも。河原に露営するのはすごく危険な気がするんですよ。丸見えですからね。ただ、平地がなければ、大部隊なら河原に集まるのは仕方ないのですが。
そんな危険な陣営だったので、占いの結果なんだって言い訳をしたかったのかな、なんて考えうちゃいました。
景行天皇の所は無残なシーンが多くて、訳していて楽しくないです。でも、頑張ります。
Commented by jumgon at 2011-05-27 20:14
ご存知かと思いますが、海石榴市(つばいち)は奈良県桜井市の三輪山の近くにもあります。古代の市が立ち、恋の花が咲いた歌垣の地だそうです。
九州の海石榴市は血なまぐさくて古代ってかんじがしますね。
Commented by himeluna at 2011-05-27 22:17
そうですね。奈良県の海石榴市の方は有名で、実は私もそちらなら知っていて、九州の海石榴市の存在は、最近まで知らなかったのです。
この血の話は、タタラの影響でいつも川が泥水で赤く濁っていた話が元ネタではないかと想像しています。出雲と同じ感じです。

最近は古代史研究家の方々には、邪馬台国探しを中断して、この日本書紀の地名の研究をして貰えないかなと思う事しきりです。
Commented by プラダ アウトレット at 2013-07-03 18:41 x
今日は~^^またブログ覗かせていただきました。よろしくお願いします。
スペルボーン(Spellborn)