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景行天皇(5)筑紫巡幸

                                    【日本書紀】

景行天皇(5)
筑紫巡幸

17年の春3月12日に、子湯(こゆ)の県(あがた)に行って、丹裳(にも)の小野に出かけました。その時、天皇は東の方を望み見て、側近に、
「この国は日が昇る方にまっすぐ向いているな。」
と言いました。そこで、その国を日向と言います。

この日、野中の大石に上って、京都をしのんで歌を詠みました。
  ああ、恋しい我が家の方から雲が湧いて流れてくるよ
  倭は国の中心の素晴らしい所 
  青々と重なった垣根のような山々に囲まれた倭はなんと美しい
  命があって 元気な人は 
  畳んだムシロのように重なり合った平群の山の
  白樫の枝を手折って 髪飾りにさせ この子よ
これを国しのび歌と言います。

18年の春3月に天皇は京に向かって筑紫の国を巡幸しました。はじめに夷守(ひなもり)に着きました。この時石瀬(いわせ)河のほとりに人々が集まっていました。天皇ははるか遠くから望み見て、側近に
「あの集まった人たちは何者だ。賊だろうか。」
と言いました。

そうして兄夷守(えひなもり)・弟夷守(おとひなもり)、二人に偵察させました。弟夷守が戻ってきて、
「諸県(もろかた)の君の泉姫が宴を献上しようと一族が集まっていました。」
と言いました。

夏4月3日に、熊の県(あがた)に着きました。そこには熊津彦の二人兄弟がいました。天皇はまず兄熊(えくま)を召しました。兄熊は使者に従ってやって来ました。次に弟熊を召しましたが、やって来ませんでした。そこで、兵を出して殺しました。

11日に海路から葦北の小島に停泊して食事をしました、その時、山部のアビコの祖の小左(おひだり)を召して、冷たい水を所望しました。しかし島の中には水はありませんでした。どうしようもありません。小左は天を仰いで、天神地祇に祈りました。すると、たちまち清水が崖のそばから湧き出ました。そこで水をくんで献上しました。これから島を水島と言います。その泉は今なお水島の崖に残っています。

5月1日に葦北から船を出して火の国に着いたのですが、日が暮れてしまい、暗くて岸部が分かりませんでした。遥かに火の光が見えました。
天皇は舵取りに、
「まっすぐ火を目指せ」と言いました。
そこでその火を目指して行って、岸に着く事が出来ました。天皇はその火の場所を尋ね、
「何というムラか。」と言いました。国の人が
「ここは八代の県の豊村です。」と言いました。
またその火について、
「これは誰が焚いた火か。」
と聞きましたが、誰なのか分かりませんでした。
結局、人が焚いた火ではないことが分かりました。こうして、その国を火の国と言うようになりました。

6月3日に高来の県から玉杵名のムラに渡りました。その時、土蜘蛛・津頬(つつら)を殺しました。

16日に阿蘇の国に着きました。その国は野が広く遠大で、人家がありませんでした。天皇は
「この国に人はいるのか。」
と言いました。その時、二柱の神が出て来ました。
阿蘇都彦・阿蘇都姫と言いました。たちまちに人間の姿を取って現れて、
「吾ら二人がいる。どうして人がいないことがあろうか。」
と言いました。この事から、その国を阿蘇と名付けました。



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