カテゴリ:◆神武天皇・1代( 5 )

 
神武天皇 (1)

神武の東征


神武天皇は天津ヒダカヒコナギサタケのウガヤフキアエズの命と、
母の代わりに育ててくれた叔母の玉依姫との間に生まれました。
兄はイツセの命、イナヒの命、ワカミケヌの命の三人です。

神武天皇のまたの名は、トヨミケヌの命、カムヤマトイハレビコの命とも言います。

高千穂の宮を発って東に向かう

イハレビコの命は同じ母から生まれた兄のイツセの命とお二人で、
高千穂の宮で話し合いました。
「どこに行ったら、平らかに天の下にあるこの国の政治をして、
臣下たちの奏上する話が聞けるだろうか。やはり、東に行こう。」
と言われて、日向を発って、筑紫に行きました。

そこで、豊の国の宇佐に着いたとき、
その国の人で、名前はウサツヒコ、ウサツヒメの二人が
足一騰宮(あしひとつあがりの宮)を造って、たいそうもてなしました。
そこから移動して筑紫の岡田の宮に一年滞在しました。
またその国より、上って、安芸の国の多祁理(たけり)の宮に七年刊滞在しました。
さらにまた上って、吉備の国の高島の宮に八年間滞在しました。

さて、この国(高千穂の宮の国)から上って行った時、
亀の背に乗って、釣りをしながら袖を振って来る人と出会ったのが
速吸門(はやすいのと)です。

イワレビコの命はその人を呼び寄せて、「そなたは誰であるか。」と尋ねると、
「私めは国つ神です。」と答えました。
「そなたは、海路を御存じか。」と尋ねると、
「よく知っています。」と答えました。
「私に仕えてはくれまいか。」と尋ねると、
「お仕えしましょう。」と答えました。

こうして、長い棹(さお)を伸ばして、その人を自分の船に引き入れて、
サオネツヒコという名前を授けました。(この人が倭の国造などの祖先です。)

ナガスネヒコと戦って、兄のイツセの命は戦死した

そこで、その国から上って行った時、浪速(なみはや)の渡(わたり)を経て、
青雲の白肩(しらかた)の津に船で泊まりました。

この時、トミノナガスネヒコが軍勢を率いて待ち構えて、戦を挑んできました。
そこで船に載せていた楯を持って上陸しました。
こうして、そこを楯津といいます。
今は日下(くさか)の蓼津(たてつ)と言います。

そこでトミビコと戦った時に、兄のイツセの命はトミビコの猛烈な矢の攻撃に会って、
手を負傷しました。そこで言いました。
「私は日の神の御子だから、日に向かって戦うのはよくない。
それで、賤(いや)しいヤツにやられて深手を負った。
この先、遠回りして、背に日を負う方向から撃とう。」
と言って、南の方に進路を取って行く時に、
血沼(ちぬ)の海について、その手の血を洗われました。
そこで、その地を血沼と言うようになりました。

そこから廻って行って、紀の国の男之水門(おのみなと)に着いて、
「賤しいヤツの矢を受けて死ぬのか。」と雄たけびして、亡くなりました。
この謂われから、この水門を名付けて、男の水門と言います。
お墓は紀の国の竈山(かまやま)にあります。

                           (つづく)
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神武天皇 (2)

熊野の荒ぶる神 


荒ぶる神の霊気に当たって倒れる

こうして、イワレビコの命はそこから廻り込んで、熊野の村に着いた時に、
大きな熊がほのかに、ふっと出て来て、そのまま消えてしまいました。
すると、イワレビコの命は急に疲れてしまい、
また率いていた軍勢も皆疲れて倒れてしまいました。

この時、熊野の高倉下(たかくらじ)という者が、一振りの太刀を持って、
天つ神の御子が倒れている所にやって来て、その太刀を献上しました。
すると、イワレビコの命はすぐに目が覚めて起き上がり、
「長く寝たなあ。」と言われました。
そして、その太刀を受け取ると、その熊野の山の荒ぶる神はひとりでに皆切り倒されました。
すると惑わされて倒れていた軍勢も、みな目が覚めて起きました。

高倉下に夢のお告げがあった

そこで、イワレビコの命が高倉下に、その太刀を手に入れた事情を尋ねると、
高倉下は、こう答えました。
「こんな夢を見ました。
天照大御神高木の神の二柱の神が建御雷の神を召して、言われました。
葦原の中つ国はひどく騒いでいるようだ。我が御子たちが病んでいるらしい。
その葦原の中つ国は、そもそもそなたが平定した国である。
だから、そなた建御雷の神が天降りしなさい。』と。

そこでお答えになったのが、
『私めが天降りしなくても、その国を平定した太刀が有るので、
その太刀を下ろすのがよろしいでしょう。』と。
(この太刀の名は佐士布都(さじふつの)神と言い、
またの名は甕布都主(みかふつぬし)と言い、
またの名は布都御魂(ふつみたま)と言う。この刀は石上神宮にある。)

そして、私にお告げになったのです。
『この刀を降ろす方法だが、高倉下よ、お前の家の倉の屋根に穴を開けて、
そこから落とし入れる。だから、縁起をかついで、朝、目を覚ました時に、
一番最初に目に入るようにして、天つ神の御子に奉りなさい。』と。

太刀と八咫烏が降ろされる

朝、目が覚めて、夢で教えられた通りに倉を見ると、本当に太刀がありました。
だから、その太刀を持って献上しに参りました。」
と高倉下は申し上げました。さらに付け加えて言いました。

「その時、また、高木の神が教え諭された事には、
『天つ神の御子を、これより奥の方には、入らせないようにしなさい。
荒ぶる神がとても多い。今、天から八咫烏(ヤタガラス)を遣わす。
その八咫烏が道案内をするであろう。
それが飛び立った後から、行軍されるように。』との事です。」

吉野で国つ神たちに出会って行く

それを聞いて、イワレビコの命は教えの通りに、八咫烏の後から行軍し、
吉野河の川尻に着いたとき、梁(やな、竹の仕掛け)を伏せて、
魚を取っている人がいた。そこで、イワレビコの命は
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私は国つ神、名はニヘモツの子と言います。」と答えました。
(これはアダの鵜飼の祖である。)

そこからさらに進むと、尻尾がある人が井戸から出て来ました。
その井戸に光が有りました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイヒカと言います。」と答えました。
(これは吉野首らの祖である。)

そこでその山の中に入って行くと、また尻尾がある人に会いました。
この人は岩を押し分けて出て来ました。そこで、
「そなたは誰か。」と尋ねると、
「私めは国つ神、名はイワオシワクの子と言います。
今、天つ神の御子が来られたと聞いたので、御迎えに来ました。」と答えました。
(これは吉野の国巣の祖。)

(つづく)
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神武天皇 (3)

宇陀の兄宇迦斯・弟宇迦斯
うだのエウカシ・オトウカシ


そこから踏みうがち、山を越えて、宇陀にやって来ました。
だから、そこを宇陀のうがちと言います。
この宇陀には、兄(え)ウカシ弟(おと)ウカシという兄弟がいました。

そこで、イワレビコの命はまず、八咫烏を遣わして、二人に尋ねさせました。
「今からここに、天つ神の御子がお越しになる。お前たちは、お仕えするか。」と。
すると、兄ウカシは鏑矢(かぶらやー音の出る矢)で、
その使いを待って射返しました。
そこで、鏑矢の落ちた所をかぶら崎と言います。
そして、待ち構えて攻撃しようと言って、軍勢を集めました。

しかし、集まらなかったので、「お仕えします」と偽って、大きな御殿を作って、
その中に、押機(おしー踏めば打たれて圧死する仕掛け)を作って隠して、待ちました。

すると、弟ウカシが先にイワレビコの命の所へ出向いて、拝んで言いました。
「私めの兄、兄ウカシが天つ神の御子の使いを射返して、
待ち伏せして攻めようとして軍勢を集めましたが、集まらなかったので、
御殿を造り、その中に押機を張って待って、殺そうとしています。
だから、こうして暴露するために参上ました。」

それを聞いた、大伴の連(おおとものむらじ)等の祖先の道臣の命
(みちおみのみこと)と、久米直(くめのあたえ)等の祖先の大久米の命の二人は、
兄ウカシを召して、ののしって言いました。

「お前がイワレビコ様の為に作ったという御殿の中に、お前がまず入って、
お仕えしようという心を証して見せろ。」
そう言うと、横刀(たち)の柄(つか)を握って見せ、矛を向けて、
弓には矢をつがえて、押し迫りました。

兄ウカシは追い込まれて、自分が作った押機に打たれて死んでしまいました。
道臣の命と大久米の命の二人は死体を引きずり出して、切り散らしました。
こうして、その地を宇陀の血原と言うようになりました。

その後、弟ウカシは盛大な宴でもてなしましたが、
イワレビコの命はすべて自分の軍勢に与えました。
その時に歌を歌われました。

  宇陀の小高い丘に (シギ・鳥の名)の罠を張ったが、
  私の待つ 鴫はかからない。
  なんとまあ、大物のが かかったぞ。

  最初の妻が おかずが欲しいと言えば、
  蕎麦(ソバ)の実の 少ないのを 出してやるさ。
  二番目の妻が おかずが欲しいと言えば、
  イチサカキの実のたくさんついたのを、食べさせてやろう。

  ええ、シヤゴシヤ、これはののしるのさ。
  ああ、シヤゴシヤ、これはあざ笑うのさ。

こうして、弟ウカシは宇陀の水取の祖先となりました。

                     (つづく)
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神武天皇 (4)

 忍坂の土雲・八十建



そこからさらに進軍して、忍坂(おさか)の大室(おおむろ)に来た時、
シッポのある土雲(つちぐもー異部族)、八十建(やそたける)が
その室屋(むろやー洞穴)に集結して、待ち構えていました。

そこで、イワレビコの命は一計を案じ、御馳走を八十建に持って行く事にしました。
相手が八十建ならこっちも八十膳夫(やそかしわでーたくさんの料理人)で行こうと、
大勢の料理人を設けて、どの人にも太刀を佩(は)かせて、説明しました。
「歌を聞いたら、一斉に切りかかるように。」と。
そう言って、その土雲を攻撃することを明かしました。

こうして、実行の時に歌った歌は

  忍坂の 大室屋に 人が大勢来て入っていた。
  人が 大勢入っていても、 
  力満ちている 久米の猛者たちが
  頭椎(くぶつついー持ち手の丸い大太刀)や、石の太刀を持って、
  撃たずにおくものか。
  力満ちている 久米の猛者たちが 
  頭椎や、石の太刀を持って、今、撃てばよい。

と歌いました。
これを合図に、太刀を抜いて一斉にうち殺しました。

久米の子らの歌

さて、その後、イツセの命を殺したトミビコを再び攻撃しようとした時に、歌った歌。

  力満ちている 久米の猛者たちが
  粟(あわ)畑に生えている臭いニラ、
  そいつの根元を、その芽ごと横ざまに切り払うように
  撃たずにおくものか。

と歌いました。またこうも歌いました。

  力満ちている 久米の猛者たちが
  垣根の元に植えた山椒の木。
  噛めばピリリと辛い、あの辛さを忘れない。
  撃たずにおくものか。

と歌いました。さらに、

  神風の吹く 伊勢の海の 大岩に 
  這いずりまわる キサゴ(巻貝)のように
  這いずってでも、撃たずにおくものか。


又、兄師木(えしき)弟師木(おとしき)を攻撃する時、
軍勢はさすがに疲れてしまいました。そんな時に歌った歌。

  楯を並べて イナサの山の 木々の間を 
  行ったり来たりして守って戦ったので
  俺はもう腹が減ってしかたがない。
  島の鳥、ウを飼う鵜飼部(食糧班)よ、 今すぐ助けに来てくれ。

全ての戦いを終えて

こうして、ついに邇藝速日(にぎはやひ)の命がイワレビコの元にやって来て、
申し上げました。
「天つ神の御子が天降り(あまくだり)されたと聞きました。
そこで後を追って降って来ました。」
そう言って、天つ神の子孫である証拠の品を献上して、お仕え申しました。

ニギハヤヒの命がトミビコの妹のトミヤビメを妻にして、
生まれていた子供のウマシマヂの命は
物部の連(むらじ)の穂積臣、ウネベの臣の祖先となりました。

こうして、イワレビコの命は荒ぶる神どもを平定し、
まつろわぬ人どもを退け払い、
畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮で 天下を治めました。
(つづく)
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神武天皇 (5)

結婚 后と大后


后 アヒラ姫

イワレビコノ命が、まだ日向(ひむか)に居られた時に、
アタのオバシの君(きみ)の妹、アヒラ姫を妻としました。
その二人の間に生まれた御子はタギシミミノ命キスミミノ命です。

大后 イスケヨリ姫

しかし、更に大后(おおきさき)にふさわしい美人を捜す事になりました。
その時、大久米(おおくめ)の命が申し上げました。

「この近くに良い娘がいます。この娘を神の子と言います。
何故かと言うと、三島のミゾクイの娘でセヤダタラ姫という人がとても美しい方で、
三輪山の大物主神(おおものぬしのかみ)が見染めたそうです。
その姫が川の上に作った厠(かわや)に行って、用を足していると、
大物主神は、赤く塗った丹塗りの矢になって、川から流れて来て、
その人のホト(女陰)を突きました。
その姫は驚いて、逃げてイススキ(狼狽し)ました。

その矢を床の所に置くと、たちまちに麗しい男になって、
セヤダタラ姫を妻にしました。
こうして生まれたた子供の名前はホトタタライススキヒメの命と言い、
また、ヒメタタライスケヨリ姫とも言います。
(これはホトという言葉を嫌って後に名前を改めました。)
こう言う事で神の御子と言うのです。」

七乙女

 ある日、七人の乙女たちが高佐士野(たかさじの)で、
野遊びをしている中に、イスケヨリ姫がいました。

大久米の命が、イスケヨリ姫を見つけて、
歌を作って、イワレビコの命に言いました。
   「倭(やまと)の高佐士野を 七人の乙女たちが通って行きます。
   あなたは誰と共寝をしますか。」
この時、イスケヨリ姫は一番前に立っていました。
イワレビコノ命はその乙女たちをご覧になって、
(イスケヨリ姫は一番前に立っている人だろう)と思って、
歌で返事をされました。
  「まあそうだな。一番前に立っている可愛い人と共寝をしよう。」

そこで、大久米の命はイワレビコノ命のお気持ちをイスケヨリ姫に伝えました。
イスケヨリ姫はその大久米の命が目の周りに入れ墨をして鋭い目に見えるのを見て、(変わってるなあ)と思って、歌にして、返事をしました。
  「つばめ、せきれい、ちどり、ほおじろ。それにあなた。
  どうしてそんなに縁取りのくっきりとした目なの。」

それを聞いて、大久米命も歌を返しました。
  「ただ、あなたに会いたいと、探し求めて、大きな目になりました。」

その歌の意を汲み取った乙女は「お仕えしましょう。」と言って、
お后になる事を承知しました。

イスケヨリ姫の家は狭韋河(さいがわ)のほとりにありました。
イワレビコノ命はイスケヨリ姫の家にお出ましになって、一夜、共寝をなさいました。
  (その川を狭韋河と言う訳は、
   その川辺に山百合の花がたくさん咲いていたからです。
   サイとは山百合の花の事です。)

のちに、イスケヨリ姫が入内された時に、イワレビコノ命が歌を詠まれました。
   「葦がいっぱい生えている所の、粗末な小屋で、
   菅で編んだ敷物を清らかに敷いて、私とそなたと一緒に寝たなあ。」

こうして、生まれた御子の名前は、日子八井命(ヒコヤイノ命)。
次に神八井耳命(カムヤイミミノ命)、
次に神沼河耳命(カムヌナカワミミノ命)の三人でした。
                    * 
 神倭(カムヤマト)イワレビコの天皇の崩御の年は137歳。
御陵は畝火山の北の方の白檮(かし)の尾の上にあります。

神武天皇の東征前の伝承が、福岡県の筑前地方各地に残っています。

飯塚市 日若神社  神武天皇が峠の霧で困ったのを助けられた話。
      厳島神社  神武天皇を物部氏が馬を連れて迎えに来た話。
嘉麻市  宇麻美神社(馬見神社)神武天皇が物部氏の案内で
         天孫を祀りに行った所。
宗像市  八所宮  神武天皇たちが東征前に神を祀った所。
北九州市 岡湊神社 一年間逗留した所。

青い所は『ひもろぎ逍遥』で紹介しています。 


イスケヨリ姫の出自については
 『ひもろぎ逍遥』
日若神社(5)イスケヨリ姫との結婚の背景
         姫の名前には古代鉄の暗号が。
で詳しく書いています。                   


イスケヨリ姫の歌に出てくる鳥について、ブログ『徒然なるままに、、、』で、野鳥の会の方に検証してもらった記事が出ましたので、リンクしました。写真付きです。
                   「古事記にでてくる鳥」 
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スペルボーン(Spellborn)