カテゴリ:豊玉姫 ( 3 )

豊玉姫 (Ⅰ)  和多都美神社 

 豊玉姫は綿津見(わたつみ)の宮に住んでいました。
ある日、豊玉姫のお付きの侍女が美しい器を持って、
水を汲もうと井戸に行きました。
すると井戸の底に光が写っています。
不思議に思って上を見ると、美しい男が枝の茂った桂の木に登っていました。
侍女はいぶかしく思いました。

 するとその男は、侍女に「水を下さい。」と言いました。
侍女は水を汲んで、持っていた玉器に入れて男に差し上げました。
ところが、その男は水を飲まないで、首飾りを外すと、玉を抜いて、
それを口に含んで、その玉器に唾と一緒にぱっと吐き入れました。
玉は器にくっついて、離れなくなりました。

 侍女は仕方なく、玉がついたままの器を豊玉姫に差し出しました。
姫はその玉を見て侍女に尋ねました。

「もしかしたら、宮の門の外に誰かいるのですか。」
「はい。井戸のそばの桂の木の上に男の人がいます。とても綺麗な人です。
王様の大綿津見(おおわだつみ)の神よりも貴いお方のようです。
その人が水を下さいと言うので、差し上げたら、
その水は飲まないで、この玉を吐いて入れたのです。
でも取れません。それで入れたまま持って帰りました。」
と侍女は言いました。

 そこで豊玉姫は変な事だと思って門の外に出て、その男を見ると、
一目惚れしてしまいました。
お互いにじっと見つめ合って恋に落ちました。

 豊玉姫は戻って父親に言いました。
「門の所に綺麗な男の人がいます。」
それを聞いて大綿津見の神が自ら出て見ると、
「おお、この方は天津日高(アマツヒコ)の御子の
虚空津日高(ソラツヒコ)様ですぞ。」
と言って、すぐに門の中に案内しました。
ソラツヒコはホオリノミコトという名前も持っています。

アシカの皮の敷物を八重に敷いて、その上に絹の敷物を八重に敷いて、
ホオリノミコトを座らせました。
それから百もの机に結納の品を置き、ごちそうを並べて、
娘の豊玉姫を妻として差し出しました。
こうして三年の間、二人は一緒に暮らしました。

 ある日、ホオリノミコトがタメ息をつきました。
豊玉姫はそのタメ息を聞いて父神に言いました。
「三年間ここに住まわれましたが、普段は嘆くようなことは無かったのに、
ゆうべ大きなタメ息をつかれました。何か訳があるのでしょうか。」

そこで、父神が婿に尋ねました。
「今朝、娘が言ったのですが、三年間ここに住んでいらっしゃって、
これまでは嘆く事もなかったのに、ゆうべ大きなタメ息をつかれたとか。
何か訳が有るのではありませんか。
また、この宮に来られたのは何故ですか。」

 そこでホオリノミコトは詳しく話をしました。
「私は3人兄弟で、一番下です。一番上の兄はホデリノミコトと言います。
その兄は海幸彦として魚を取って、
私は山幸彦として狩りをして毛皮を取っていました。

 ある時、私は兄に『お互いの道具を換えてみないか。』と持ちかけました。
三回頼んで、三回とも断られたけれども、ようやく『ちょっとだけなら』と、
交換してくれました。

 早速それで釣りをしたのですが、全く釣れなかった上に、
釣り針を失くしてしましました。

その後、兄が
『山サチはお前の道具。海サチは私の道具。さあ、元通りにしよう。』
と言って来ました。

 しかし、私が釣り針を失くしてしまったのが分かると、
返してくれと言って聞きません。
どうしようもないので、私の剣で500本の釣り針を作って、
償ったのですが、受け取ってくれませんでした。
それでさらに1000本作って償ったのですが、
『やはり元の釣り針がいる』と言います。

 私はどうしようもなくて、海辺で嘆いていたら、塩土の神がやって来て、
『どうして日の御子さまが泣いていらっしゃるのですか。』と聞いてきます。
それで事情を話すと、塩土の神は『よい考えがあります。』と言って、
竹で編んだ小船を作って、私を乗せてこう言いました。

『私がこの船を押し流します。
日の御子さまはそのまま潮の流れに乗って下さい。
すると、綿津見の神の立派な宮殿に着くでしょう。
その宮殿の門の所に井戸があって、桂の木が生えています。
その木の上で待っていると、海神の娘が出て来て、
相談に乗ってくれるでしょう。』
言われたままにしたら、こうやってこの宮殿に着いたのです。」

これを聞いて大綿津見の神は海中の大小の魚を呼び集めて、尋ねました。
「誰か、ホオリノミコトさまの釣り針を取った者はいないか。」
すると、答える者がいました。
「前に、鯛が喉に何かが刺さって物が食べられないと困っていました。
そいつが取ったのでしょう。」と。
そこで鯛の喉を調べると、釣り針が見つかりました。
すぐに取り出して、良く洗ってホオリノミコトに返しました。

その時に大綿津見の神はこんな事を教えました。
「この釣り針を兄上に返す時に、
『この釣り針はオボチ、スズチ、マヂチ、ウルヂ』
とおまじないを言って返して下さい。

そして、兄上が高い所に田んぼを作るなら、
あなたは低い所に田んぼを作って下さい。
兄上が低い所に作るなら、あなたは高い所に作って下さい。

私は水を支配していますから、三年の間で、
兄上が米がとれずに貧しくなるようにしてみせます。

もし、兄上がこれを恨んであなたに攻めて来たら、
潮満珠(しおみつたま)を出して溺れさせ、
もし困らせ過ぎたら潮乾珠(しおひるたま)を出して、
生かして懲らしめて下さい。」
と言って、潮満珠と潮乾珠を授けると、
すぐに和邇(ワニ=海亀)たちを呼び集めて、尋ねました。

「今から日の御子さまが葦原の中つ国にお帰りになる。
それぞれ何日で送り届けられるか申せ。」
それを聞いて、めいめいが自分の背丈から計算して言うと、
一尋和邇(ひとひろわに)が言いました。
「私は一日で送って還って来られます。」
「それなら、お前が送りなさい。
海の中を渡るときは、御子さまに怖い思いをさせてはならぬぞ。」
と言って、ホオリノミコトを和邇の背に乗せて、送り出しました。

 和邇は約束通りに、一日で送りました。
ホオリノミコトは和邇を返す時に、お礼に
身に付けていた紐のついた小刀をはずして、和邇の首に付けて返しました。
それからは、その一尋和邇は刀を持っている神という意味で、
サヒモチノ神と呼ばれるようになりました。

 さて、ホオリノミコトは大綿津見の神が詳しく教えてくれた通りにして、
その釣り針を兄のホデリノミコトに返しました。
そのために兄のホデリノミコトはだんだんと貧しくなって、
心がすさんでホオリノミコトを攻めようとしました。
そうすると、ホオリノミコトは潮満珠を出して、兄を溺れさせ、
助けを求めると、潮乾珠を出して救いました。
こうして悩ませ、苦しめた後に、ついにホデリノミコトは頭を地につけて、
ホオリノミコトに言いました。

「私はこれからは、あなたの昼夜の守り人と成って、お仕えします。」と。
こう言う訳で、ホデリノミコトは隼人の祖となって仕えるようになりました。
そして隼人の舞という形で溺れた時の様子を今に伝えています。
 

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豊玉姫(Ⅱ) 出産

 さて、海神の娘の豊玉姫は、夫がいなくなった後に、
妊娠している事に気付きました。
そこで、葦原の中つ国にやって来て、ホオリノミコトに言いました。

「私はあなたの子供を宿しました。もうすぐ生まれます。
どこで出産したらよいかと考えましたが、
天の神の御子となる子供ですから、海原で生むわけにはいきません。
ですから、こうして、参りました。」

 そう伝えると、すぐにその海辺の波打ち際で、
鵜の羽根を屋根に葺いて、産殿(うぶや)を造らせました。
ところがまだ産殿が出来あがらない内に急に産気づいてしまいました。
そこで産屋に入ってお産をしようとする時に、
夫のホオリノミコトに言いました。

「人間界と違う異世界の者は生む時になると、
本来の世界の姿になって生むものです。
ですから、私も本来の姿で生もうと思います。
どうぞ、私を見ないで下さい。」と。

 しかし、ホオリノミコトは「変な話だ。」と思って、
産屋を覗き見しました。
すると、妻は八尋和邇(やひろワニ=大きな海亀)となって腹這って、
うごめいていました。
ホオリノミコトは驚いて逃げました。

 豊玉姫は夫が覗き見した事を知って、本当の姿を見られたのを
恥ずかしく思って、そのまま御子を置いて、
「私はこの子を生んだ後も、常に海の道を渡って、
育てようと思っていました。
けれども、私の姿を見られてしまっては、
恥ずかしくてここには居られません。」と言って、
綿津見の宮へと通ずる海の境を塞いで帰ってしまいました。

 生まれた御子は生まれた時の様子から、
天津日高日子波限建鵜萱草葺不合命
(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と
名付けられました。

 国に戻った豊玉姫は夫が覗き見しなかったら、
こんな事にはならなかったのにと、恨みましたが、
恋しくて仕方がありませんでした。
妹の玉依姫が御子を養育することになったので、
妹に夫への歌をことづけて贈りました。

「赤い玉はその紐までも輝かせるほど、光輝いていますが、
それにも増して、白い玉のような清らかなあなたのお姿は貴いものでした」

これを見てホオリノミコトも返歌を贈りました。

「沖の鳥、鴨が棲むような遠い島で、一緒に寝たあなたを
私は忘れません。生きている限り」

 こうして、ホオリノミコトは高千穂の宮に580年間住まわれました。
お墓は高千穂の山の西にあります。
別の名前を日子穂穂手見の命(ひこほほでみのみこと)と言います。

(古事記 火遠理命の巻より)

 豊玉姫の生んだウガヤフキアエズノミコトは妹の玉依姫と結婚して、
その第四子が神武天皇になりました。

豊玉姫は海亀の化身?

 豊玉姫が八尋和邇の姿になって出産したのですが、この和邇とは何かが
昔から分かっていません。
鰐という字で書かれている本もあります。
これはサメだという説が学界では中心です。

でも、もっと古くには海亀のことをワニと呼んでいる事が分かりました。
また太占(ふとまに=古代の占いの方法)に用いる海亀の甲羅をワニと
呼んでいます。

そうすると、豊玉姫が浜辺で出産する理由がよく分かります。
海亀が腹這って砂の上を歩いて、涙を流しながら、卵を産む姿。
そして、卵を残して海に帰る姿がほうふつとします。

日本書紀ではホオリノミコトは櫛に火を灯して妻を覗き見しています。
これで夜の出産だという事が分かります。
海亀が夜に産卵するのと同じです。

ホオリノミコトを送り届けた一尋和邇も、亀の背に乗せて届けたと解釈すると、
浦島太郎とそっくりです。
ちなみに豊玉姫の生まれた和多都美神社の地を夫姫と言うんですよ。

日本書紀には豊玉姫が大亀に乗って戻って行ったとも書いてあります。 
こういう事で和邇をウミガメと訳しました。

一尋は? 両手を広げた長さです。これは自分の身長とほぼ同じです。
八尋は? 「八」には沢山という意味があります。
  八尋和邇はとても大きな海亀という程度です。


 伝承を訪ねて

和多都美神社 長崎県対馬市豊玉町
御祭神はヒコホホデミノミコト(ホオリノミコトの別名)と豊玉姫です。
二人の三年の結婚生活がこの地で営まれました。
海神である豊玉彦尊がここに宮殿を造り、この地を夫姫と名付けました。
ここで生まれ育った豊玉姫はここで亡くなり、
お墓が今でも伝えられています。

紫瀬戸 対馬の美津島町の三浦湾 
豊玉姫は、出産した後産の胎盤などをこの地で洗いました。
そのために、藻が紫になったと言い伝えられています。
また産湯のための水を汲んだ井戸が伝わっています。

志登神社 福岡県前原市
 豊玉姫が夫に会う為に上陸したと伝えられる所。
その近くには豊玉姫が髪を櫛けずったという岩があります。
ここは昔、海が入り込んでいた所だそうです。

若宮神社 福岡県糟屋郡新宮町の沖合の相の島
ご祭神は豊玉姫と玉依姫とウガヤフキアエズノミコトです。
この境内には井戸があり、そこは綿津見の宮に通じていると
言い伝えがあります。
小さな島ですが、海人族(かいじんぞく)たちの積み石の古墳が
浜辺に沢山並んでいるので有名です。

住吉神社 対馬の東海岸沿いの美津島町の鶏知(けち)
ご祭神は、ウガヤフキアエズノミコトと豊玉姫と玉依姫。
(住吉なのに住吉三神ではないんです!)

青木茂の『わだつみのいろこのみや』 ブリジストン美術館所蔵。
桂の木に隠れるホオリノミコト(山幸彦)と
それを見上げる豊玉姫と侍女が描かれています。
わずか一筋水底から泡が昇っていて、それが海の底だと教えてくれます。
神秘的な絵です。


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スペルボーン(Spellborn)