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カテゴリ:サホ姫( 1 )

沙本毘賣 

 サホ姫が垂仁天皇(イクメイリビコイサチの命)のお后となってから
三年がたった時の話です。

同母兄弟のサホビコの王がサホ姫に言いました。
「夫である帝と兄の私とどちらが愛しいかな。」
「お兄さんよ。」
とサホ姫は答えました。

すると、兄のサホヒコは謀り事をして言いました。
「そなたが本当に私を愛しいと思うなら、私とそなたで天下を取ろう。」
と言って、何度も鍛えて鋭利になった紐小刀(ひもこがたな)を、
妹に持たせて言いました。
「この小刀で、帝が寝ていらっしゃる時に刺して殺しなさい。」と。

 さて、帝はこの暗殺計画を知らないで、サホ姫の膝枕で寝ていました。
そこで、サホ姫は紐小刀を取り出して、首を刺そうとして、
三度も振り上げたけれども、悲しすぎて、刺す事が出来ませんでした。
涙があふれて来て、帝のお顔に落ちました。

すると、帝はびっくりして起き上がって、サホ姫に言いました。
  「変な夢を見たよ。沙本(さほ)の方から激しい雨が降って来て、
  急に私の顔にも降り注いだ。
  それから、錦色の小さな蛇が私の首にまとわりついた。
  こんな夢は何かの前兆かもしれないな。」

これを聞いてサホ姫は隠し立ては出来ないと思って、帝に告白しました。
  「私の兄のサホビコの王が私に言いました。
  『夫と私とどちらが愛しいか。』と。

  面と向かって聞かれたので、気おくれがして、
  私は『兄の方が愛しい』と答えてしまったのです。
  そして、私を誘いこんで、言いました。
  『私とそなたと共に天下を治めよう。だから帝を殺せ。』と。

  そしてこの紐小刀を渡したのです。
  私は帝のお首を刺そうと思って、三度も振り上げたのですが、
  かなしくて、そんな事は出来ません。
  涙が帝のお顔に落ちてしまいました。
  帝の夢はきっとこの事でしょう。」と言いました。
帝は「私はすんでの所で裏切られる所だったのか。」と驚きました。

 帝はただちに軍勢に命じて、サホビコの王を攻撃しました。
サホビコの王の方は、備蓄用の稲を積み上げて、
防塁として対戦しました。
その時、サホ姫は兄の心を思うと、耐えられず、
御所の後ろの門から逃げ出して、兄の陣営に入りました。

 この時、サホ姫はすでに妊娠していました。
帝はサホ姫が身重で心配な上に、三年も愛し合ったので、
サホ姫を失う訳にはいきません。

 そこで、軍勢にはサホビコの王の家を取り囲ませるだけで、
急襲しないように命じました。
こうして、戦が長引いている間に、サホ姫の子供が生まれました。

そこで、サホ姫は子供を防塁から外に出して置いて、帝に伝言を頼みました。
  「もし、この子を帝の御子だと思われるなら、育てて下さい。」と。

帝はそれを聞いて、
  「その兄を恨んではいるが、今でもサホ姫への思いを断ち切る事は出来ない。」
と言われました。そうして、お后を取り返そうと思われました。

そこで、兵士の中で力があって、軽快に動く者を選び抜いて、
集めて言われました。
  「御子を受け取る時に、一緒にその母上も奪い取るように。
  髪でも手でも何でもいいから、掴んで引っ張って連れて来るように。」と。

 しかし、お后のサホ姫は帝のお気持ちを察して、髪を剃って、
その髪でかつらを作って、かぶり、また玉の腕輪は糸を弱るように腐らせて
三重にまきました。
また、酒で衣(ころも)を腐らせて、見かけは普通の衣のようにしました。
こうして、準備をして、御子を抱いて、防塁の外に差し出しました。

 その時、選りすぐりの兵士たちが、御子を受け取ると、
お后も掴んで引っ張りだそうとしました。
しかし、髪を掴むとひとりでに落ち、手を取ると腕輪がちぎれ、
衣を掴むと、破れてしまいました。
こうして、御子は取り戻せても、お后は取り戻せませんでした。

兵士たちは帰って来ると、
  「お后さまのみぐしは抜け落ち、お衣はすぐに破れ、
  み手に巻かれた腕輪もすぐにちぎれました。
  ですから、お后さまは連れて来れず、御子だけをお連れしました。」
と報告しました。

 帝は、お后を失った事を後悔し、腕環に細工をした者たちを恨んで、
その私有地を没収されました。
こうして、「所を得ぬ玉造り」(褒美を貰おうとして、逆に持っている物を失う)
ということわざが生まれました。

帝はなおもサホ姫に言いました。
  「大体、子供の名前は必ず母親が付けるものなのに。
  なんとかこの子の名前を言ってくれ。」と。

そこでサホ姫は答えました。
  「稲で作った防塁が焼かれる時に、火の中でお生まれになりました。
  ですから、お名前はホムチワケの御子と付けて下さい。」と。

帝はさらに言いました。
  「どうやってこの子を育てたらいいと言うのか。」と。
  「乳母(うば)を付けて、湯浴みをさせる大湯座(おおゆえ)、
  若湯座(わかゆえ)を決めて、お育て下さい。」
帝はサホ姫の申し上げた通りにお育てになりました。

帝はまた、尋ねました。
  「そなたが愛を誓って、結んでくれた下着の紐は
  いったい誰が解くと言うのか。そなたしかいないのに。」
と言われると、こう答えました。
  「丹波のヒコタタスミチノウシノ王の娘にエヒメ、オトヒメという
  お二人のヒメみこが、心清らかな人たちです。
  その二人をお召し下さい。」と。

 この後、ついに、帝はサホヒコの王を攻めて殺されたので、
妹のサホ姫も後を追いました。

 帝は忘れ形見のホムチワケの命を可愛がり、
尾張の国の会津の二股杉で二股の小船を作らせて大和に運ばせ、
イチシノ池、カルノ池に浮かべて、二人で乗って遊んだそうです。

また、言われた通りに丹波の姉妹をお召しになりました。


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何故サホ姫は兄の言いなりになったのでしょうか?

これを解くカギは古代の結婚制度にあります。
当時は母系社会で、妻問い婚でした。
夜になると、夫は妻の元に出かけ、朝になると自分の家に戻りました。

垂仁天皇の場合、サホ姫は天皇のお側に召されていますが、
サホ姫亡き後の后の数は6人です。御子の数は16人。。
この時代に天皇家でこれだけの后を同居させた訳ではないと思います。

后たちはそれぞれ実家と宮を行き来したと考えられます。

子供の名前は実家で付けていたという事情が、
帝の「大体、子供の名前は必ず母親が付けるのに。」という言葉で分かります。

こんな母系社会の時代ですから、
サホ姫の場合も、気持ち的には実家の人間だったと思うのです。

次の時代の平安時代になっても、まだ通い婚が基本です。
しばらくしてから、婿取りという形式が出てきます。
「舅(しゅうと)に気に入られる婿(むこ)はまずいない」という話も残っています。

女性が夫の家に嫁ぐ(とつぐ)という風習は江戸時代になってからです。
今の常識から古代を見ると、不思議な感じですね。

話を戻しましょう。

サホ姫も月のものが来ると、実家に戻ったことでしょう。
そうすると、実家の親や兄と顔を合わせます。

クーデターを起こせば、政権を取れる時代です。
実家がそれを狙えば、サホ姫は拒否出来ない立場でした。

サホ姫は政略結婚で嫁いだのかも知れませんが、帝と純粋に愛し合って、
板挟みになったと思われます。
その苦しみが、流す涙になりました。

しかし、実家の謀反を明かした以上、運命は兄と共にある事を、
サホ姫は誰よりも知っていました。
そんなサホ姫を救いたくて、あれこれと尋ねる帝の純情が読む人の心を打ちます。

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