カテゴリ:玉依姫

玉依姫            宝満神社 

 玉依姫は海の神さま大綿津見(おおわたつみ)の神の娘です。
姉の豊玉姫(とよたまひめ)と共に綿津見の宮に住んでいました。
姉の豊玉姫が日の御子のホオリノミコトと結婚してから、
三年でホオリノミコトが地上に戻りました。

姉の豊玉姫も後を追って綿津見の宮を離れました。
子供を出産するためです。

ところが、子供を生み終えると、姉上は一人で
綿津見の宮に戻って来ました。
出産するときに本来の姿を見られてしまったために、
帰って来てしまったのです。

姉上はこちらに帰って来たものの、夫が恋しく、
また残して来た子供が気がかりです。
そこで、妹の玉依姫が子供の養育係として、行く事になりました。

 こうして葦原の国に行った玉依姫は
姉の子のウガヤフキアエズノミコトを育てました。
そして、この子が成人すると、二人は結婚をしました。
二人は伯母と甥にあたります。

二人の間には四人の子供が生まれました。
子の名は五瀬命(いつせのみこと)。
稲氷命(いなひのみこと)。
御毛沼命(みけぬのみこと)。
若御沼命(わかみけぬのみこと)です。

長男のイツセノミコトは一番下のワカミヌノミコトと共に、
この国を出て、東に新たな国を作るために出かけて、途中で戦死しました。

二番目の子、イナヒノミコトは亡き母の国へと海原にお入りになりました。

三番目の子、ミケヌノミコトは波頭を踏んで常世(とこよ)の国に行きました。
そこは不老長寿の国と言われています。

一番下のワカミケヌノミコトは別名、トヨミケヌノミコト、また
カムヤマトイワレビコノミコトとも言います。

イワレビコノミコトは兄のイツセノミコトと共に日向を出て、
東に向い、大和を平定して、
初代の天皇になりました。神武天皇と言います。

           (古事記 ウガヤフキアエズの命の巻より)

こうして、玉依姫は初代天皇の母として敬愛を受ける事になりました。
ここまでが神の代となります。

ウガヤフキアエズの命が生まれた時の様子は豊玉姫を見て下さいね。
また、神武天皇の結婚はイスケヨリ姫を見て下さい。

伝承を訪ねて 
竈門神社(かまどじんじゃ)福岡県太宰府市宝満山
玉依姫はここで我が子の東征の成功を祈ったと伝えられます。
縁結びの神様として親しまれています。

宝満神社 (通称『宝満宮』)   福岡県大野城市山田
玉依姫は旧中村という所で亡くなられました。
墓所もここにあると伝えられます。
この地を今でも御陵と言い、御陵中学校の名の由来になっています。
しかし、 度重なる洪水のために現在地の山田に移転しました。
玉依姫命は、宝満山の頂に坐して水分神(みくまりのかみ)となり、
この地方一帯の水を支配されたという事です。

天皇家の母としての玉依姫
ずっと後の世に景行天皇がクマソ征伐に来た時に、
ここに来てお参りをしています。

また、それから時代が下がって、再びクマソが反抗するので、
神功皇后が九州に来ました。
しかし急きょ新羅を攻める事になったので、
神功皇后はこの玉依姫の神廟に来て戦勝を祈りました。
この時、玉依姫命が現れて
「そなたと姉妹の契りを交わしましょう。」
と、神功皇后に約束したそうです。

こういう事で、神宮皇后と玉依姫命が一緒に祀られている神社もあります。
後の世までこうして慕われました。

またさらに後の世、心蓮上人(しんれんしょうにん)が宝満山に籠もって
修業している時にも玉依姫命が現れたという事です。


宝満山の頂上に山の神でなく、海神の女神が祀られているのが
ずっと不思議だったのですが、水分の女神として、
人々に恵みを与えていたのですね。
この頂上からは玉依姫の故郷の海が見えます。
あれっ、すると、神武天皇はここで育った?

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