<   2010年 03月 ( 7 )   > この月の画像一覧

瓊瓊杵命(1)
ニニギノみこと

ニニギノ命は父の代わりに天降りをする事になる


天照大御神と高木の神の命令で、太子(ひつぎのみこ)の
天の忍穂耳命に言われました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告がありました。
だから、以前にその国をそなたに与えた通りに、
天降りして、治めなさいませ。」と。

そこで太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。
名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひだかひこほ)のニニギノ命です。
この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と
結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)。
次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。
だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」と言われました。
                (ニニギノミコト  天孫の誕生の巻)

ニニギノ命を案内する神が現れる

そこで日子穂(ヒコホ)のニニギノ命が天降りをしようとする時に、
天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。

それを見て、天照大御神と高木の神はアメノウズメの神に命じて言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。
だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
『我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。』と。」

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。

「私は国つ神、名は猿田彦の神です。
こうして出て来たのは、天つ神の御子が天降りなさると聞いたので、
道案内をしようとして、参上しました。」

ニニギノ命は神々や職人たちを連れて天降りをした

こうしてニニギノ命は、アメノコヤネの命、フトダマの命、アメノウズメの命、
イシコリドメの命、タマノヤの命、合わせて五人の職人の長たちを連れて、
天降りなさいました。

この時に、天照大御神は天の岩戸の時に作られたヤサカの勾玉と鏡、草薙の剣を授け、
また、常世の思金(おもいかね)の神、田力男(たぢからお)の神、
天石門別(あめのいわとわけ)の神をお伴として、お遣わしになりました。

そうして、天照大御神はニニギノ命に
「この鏡を我が御魂(みたま)として、私に仕えるように仕えなさい。」
と言われました。次に、思金(オモイカネ)の神には、
「高天原に政(まつりごと)があるように、中つ国でも政をしなさい。」
とおっしゃいました。

   この二柱の神はサククシロ、イスズの宮に御祭りしています。
   次にトヨウケの神、これは外宮の度相(わたらい)に鎮座する神です。

   次に、天の石戸別(いわとわけ)の神、
   またの名は、櫛石窓(くしいわまど)の神と言い、
   またの名は豊石窓(とよいわまど)の神と言います。
   この神は御門(みかど)の神です。

   次に手力男(たぢからお)の神は佐那那県(さなながた)に鎮座しています。
   こうして、天の児屋の命は中臣の連(むらじ)の祖、
   布力玉の命は忌部の首らの祖。

   天のウズメの命は猿女の君らの祖。
   イシコリドメの命は作鏡連らの祖。
   玉の祖の命は玉祖連らの祖となりました。


 こうして、ニニギノ命は天の石位(あまのいわくら)を離れ、
天の川を押し分けて、威風堂々と道をかき分けて、
天の浮橋にお立ちになって、筑紫の日向の高千穂のクジフルタケに
天降りなさいました。

その時、天忍日(あめのおしひ)の命と天津久米(あまつくめ)の命の二人は
天の矢を入れる入れ物を背負って、持ち手が丸い太刀を身につけ、
天のハジ弓を持ち、天のマカコ矢を手に挟み持ち、先導しました。

そうして、天忍日の命が天津久米の命に言いました。
「ここは韓国に向かい、カササの岬を通って、
朝日のただ刺す国、夕陽の照り映える国だ。だから、本当にいい所だぞ。」
そう言って、地中深く、高天の原にも届くような、宮柱を立てました。

ニニギノ命はアメノウズメに猿田彦に仕えよと命じた

それから、ニニギノ命がアメノウズメの命におっしゃいました。
「われわれの先を案内して仕えてくれた猿田彦の大神は、
迎えに出て来られた理由を直接尋ねたそなたがお送り申せ。
また、その神の御名をもらって、お仕え申せ。」と。 

こうして、天孫降臨のお伴をしたアメノウズメの命は
猿女(さるめ)の君の先祖となりました。
猿女の君とは鎮魂祭の舞いや、大嘗祭の前を歩いたりして奉仕する
祭祀関係の女官たちの事です。
この女官たちが猿田彦の名を付けているのはこれが由来です。

ニニギノ命は美人に出会ってプロポーズした

 ニニギノ命が笠沙の御崎(かささのみさき)で、美しい乙女にたまたま出会いました。
「そなたは誰の娘か?」
と尋ねると、
「大山津見の神の娘です。名前はカムアタツヒメ。
またの名木花咲耶(をコノハナノサクヤ)ビメと言います。」
と答えました。

ニニギノ命はさらに尋ねました。
「そなたには兄弟がいるのか。」
「姉のイワナガヒメがいます。」
と答えました。
「私はそなたと共寝をしたいのだが、そなたはどうだ。」
とおっしゃっると、
「私は答えられません。父上の大山津見の神が返事を申し上げるでしょう。」
と乙女は答えました。

 そこでそのニニギノ命の人は結婚の申し出をするために、
供の者を遣わしました。
大山津見の神は大変喜んで、姉のイワナガヒメを添えて、
数多くの持参品を持たせて、二人の娘を差し出しました。

ニニギノ命は姉の石長姫を送り返した

その姉のイワナガヒメは醜かったので、ニニギノ命は恐れをなして、
親元に送り返しました。
その妹のコノハナサクヤヒメだけを留めて、一夜共寝をしました。

 一方、大山津見の神はイワナガヒメが送り返されたのを恥じて、
ニニギノ命に申し送りました。
「わが娘二人を一緒に差し出したのは、イワナガヒメをお側に仕えさせたら、
これから天孫代々の御子さまたちの命は、
雪が降っても、風が吹いても、常に岩のように永遠にどっしりと動かずに
おられますようにとの事です。

また、コノハナサクヤヒメを仕えさせれば、木の花が咲き誇るように
栄えて戴きたく、神の占いをした上で差し出しました。
ところがこのようにイワナガヒメだけを返して、
コノハナサクヤヒメ一人留められました。

だから、天つ神の御子のお命は、木の花がはかないのと同じようになるでしょう。」
と。
これが原因で、今に至るまで、天皇家の方々のお命は
神代のようには長命ではないようになりました。

ニニギノ命は妻の妊娠相手を疑う

 さて、この後、コノハナサクヤヒメがニニギノ命の宮に出かけて行って
申し上げました。
「私は妊娠しました。もう、出産まぢかです。
この天つ神の御子は、こっそりと生むわけにはいきません。
それで、こうやって申し出ました。」

それを聞いて、ニニギノ命は
「サクヤヒメよ。一晩で身籠ったというのか。それは私の子ではあるまい。
だれか、国つ神の子にちがいあるまい。」
とおっしゃいました。

コノハナサクヤヒメは、そう言われて、
「私が身籠った子が、もし国つ神の子ならば、生んでも無事ではないでしょう。
もし、天つ神の御子ならば、無事でしょう。」
と言って、すぐに出入り口のない八尋殿を作って、中に入り、土で塗り塞ぎました。

 いよいよ生む時になって、火を付けて生みました。
その、火が盛んに燃える時に生んだ子の名は火照命(ほでりのみこと)。
次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)。
次に生んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)。
またの名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)と言います。

                    (古事記 木花佐久夜毘売の巻)



ニニギノ命については古事記ではこの先は書いてありません。

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瓊瓊杵尊 (2)  

天孫降臨の背景を整理してみました

ニニギの命に与えられたもの。

三種の神器 八尺(やさか)の勾玉(まがたま)・鏡・草ナギの剣

お伴をしたのは、天の岩戸隠れの時の功労者たち
三人のお伴 
常世の思金(おもいかね)の神………天の岩戸隠れの時にアイデアを出した
田力男(たぢからお)の神‥‥‥‥アマテラスを引っ張り出した
天石門別(あめのいわとわけ)の神…御門の神

五人の伴緒(とものお)職人の長
天の児屋の命  (中臣の連(むらじ)の祖)‥‥占いをして、祝詞をあげた
布刀玉の命   (忌部の首(おびと)らの祖)‥‥占いをして、御幣を持った
天のウズメの命 (猿女の君らの祖)‥‥神懸かりして踊った
イシコリドメの命(作鏡連らの祖)‥‥‥八咫鏡を作った
玉の祖の命   (玉祖連らの祖)‥‥‥八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った

二人の先導者 
天忍日(あめのおしひ)の命
天津久米(あまつくめ)の命

出迎えのもの
猿田彦神

瓊瓊杵尊を祀る神社
馬見神社 福岡県嘉麻市
  御祭神 諸説あり
  馬見山に白馬大明神が降臨し、 
  それがニニギの命だと言う伝承があります。
  ずっと後に、神武天皇が参拝。
ニニギの命の一族の婚姻関係など、詳しくは⇒ 馬見神社

荒穂神社 福岡県嘉麻市大隈
  御祭神 ニニギの命
日天宮 福岡県嘉麻市大隈
  御祭神 不明。巨岩が御神体。

馬見山―日天宮―荒穂神社のレイラインがあるらしい
 (四つの荒穂神社が馬見山を見ている)
ニニギの命に関連した不思議な繋がり ⇒ 荒穂神社

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猿田彦の神 (1) 


天照大御神と高木の神の命令で、ニニギノ命が葦原の中つ国に
天降り(あまくだり)しようとする時のお話です。

サルタヒコは天の川の真ん中に光り輝いて立っていた。

天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。
それを見て、天照大御神は高木の神と共に、アメノウズメの神に言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。
だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
(我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。)」と。

声をかけて来たアメノウズメに名乗る

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。
「私は国つ神、名は猿田彦の神です。
天つ神の御子が天降りなさると聞いたので
道案内をしようとして、参上しました。」

ニニギノ命は神々や職人たちを連れて天降りをした

こうしてニニギノ命は、アメノコヤネの命、フトダマの命、アメノウズメの命、
イシコリドメの命、タマノヤの命、合わせて五人の職人の長たちを連れて、
天降りなさいました。

この時に、天照大御神は天の岩戸の時に作られたヤサカの勾玉と鏡、草薙の剣、
また、常世の思金(おもいかね)の神、田力男(たぢからお)の神、
天石門別(あめのいわとわけ)の神をお伴として、
お遣わしになりました。

そうして、天照大御神はニニギノ命に
「この鏡は我が御魂として、私に仕えるように仕えなさい。」
と言われました。
次に、オモイカネの神には
「高天原で政(まつりごと)をしたように、
中つ国でもニニギノ命を支えて、政をしなさい。」
とおっしゃいました。

こうして、ニニギノ命は天の石位(あまのいわくら)を離れ、
天の川を押し分けて、威風堂々と道をかき分けて、天の浮橋にお立ちになって、
筑紫の日向の高千穂のクジフルタケに天降りなさいました。

それから、天忍日(あめのおしひ)の命と天津久米(あまつくめ)の命の二人は
天の矢を入れる入れ物を背負って、
持ち手が丸くなっている太刀を身につけ、天のハジ弓を持ち、
天のマカコ矢を手に挟み持ち、ご先導をしました。

 そうして、天忍日の命が天津久米の命に言いました。
「ここは韓国に向かい、カササの岬を通って、
朝日のただ刺す国、夕陽の照り映える国だ。
だから、本当にいい所だぞ。」
そう言って、地中深く、高天の原にも届くような、宮柱を立てました。

ニニギノ命はアメノウズメに猿田彦に仕えよと命じた

それから、ニニギノ命がアメノウズメの命におっしゃいました。
「われわれの先を案内して仕えてくれた、猿田彦の大神は、
迎えに出て来られた理由を直接尋ねたそなたがお送り申せ。
また、その神の御名をお前はもらって、お仕え申せ。」と。
 
 こうして、天孫降臨のお伴をしたアメノウズメの命は
猿女(さるめ)の君の先祖となりました。
猿女の君とは鎮魂祭の舞いや大嘗祭の前を歩いたりして奉仕する
祭祀関係の女官たちの事です。
この女官たちが猿田彦の名を付けているのはこれが由来です。

            * * *

サルタヒコはひらぶ貝に手を挟まれて溺れ死ぬ

 その猿田彦の神がアザカの地におられる時に、
漁をして、ひらぶ貝に手を挟まれて、
海に引きずり込まれて亡くなりました。 (アザカは地名。)
それで、海の底に沈まれた時の名を底ドク御魂と言い、
海水がぶくぶくと上がってくる時の名をツブタツ御魂と言い、
泡が水面で割れる時の名を、アワサク御魂と言います。
         

猿田彦の神
このように天孫降臨の時に道案内をしたことから、道を開く神として有名です。
神輿が出る時に、先頭を走る赤いお面の神様がこの神です。

道祖神
福岡県の北部には、大きな自然石に猿田彦の名を書いたものが
各地で見られます。村の入口に置かれて、村を守っていました。
道路が大きくなった現代でも、片隅に置かれたりしているのを見かけます。

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                                    (つづく)
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猿田彦の神(2)

猿田彦の溺れ方は、
さそり座の沈むようすを物語にした?


さそり座のシッポにある赤い星は、シャウラ星と言います。
それをかつては猿田の星とか、猿女の星とか呼んだ時代があったそうです。
ニニギノ命がアメノウズメに「名前を貰ってお仕えせよ」と言ったのは、
この赤い星が二人の星だからでしょうか。

その赤いシャウラ星を含むさそり座を、猿田彦の手ではないかと想像すると、
天秤座ひらぶ貝に見えて来ました。

そんな仮説を立てて、星座ソフトで時間の経過を見ていたら、
思いがけない事が起こりました。
なんと、ひらぶ貝が猿田彦の手を挟んだまま、沈んで行ったのです。
おおお。この猿田彦の死は星座の運行だ…。

そこで、それを再現してみました。

200年の6月21日の南の空のようすです。

①夏の日が暮れると、南の空にまず赤い猿太星(シャウラ)が出て来ます。
赤い星から連なる青い星が猿田彦の腕と手です。
その指をひらぶ貝(てんびん座)が挟んでいます。
ひらぶ貝の方が高い所にあります。
この二つの位置関係を覚えておいて下さい。

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②時間が経過するにつれて、ひらぶ貝のほうが高度を下げて来ます。
4時間経後には猿太星とひらぶ貝が並びます。

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③さらに2時間経つと、ひらぶ貝が先に沈んで行きます。
続けて猿太星が引っ張られるようにして、沈んでいきました。
そのあと、天の川の星雲や星団が次々に沈んで行きます。
その星団はまるで泡のように見えました。

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昔は夜空の星を覚えるために、こんな神話を作りだしたのではないでしょうか。
砂浜で、大人がそんな話をしてあげると、
子供が喜んで聞いているようすが目に浮かびます。

ピンク色の星座はアメノウズメの髪飾りです。
そうすると、夫を必死で引っ張って止めようとする、
悲しい姿が浮かびます。
神話の続きにはこんな部分もあったのかも知れません。
(アメノウズメの所でも、同じ話を紹介しています。
しばらくしたら、そちらを整理します。)
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伊邪那美の命(1)

イザナミの命の出現と夫婦の交わり


天と地が初めて別れた時、
高天(たかま)の原に七柱の神が現れて、次に四組の神々が現れ、
最後にイザナキの神、とイザナミの神が現れました。


 さて、天つ神がイザナギノ神とイザナミの神に、
「このクラゲのように漂っている国を、つくり固めて完成させなさい。」
と言って、天の沼矛(ぬぼこ)を与えられました。

 そこで二人の神は天の浮橋にお立ちになって、
その沼矛を指し下ろしてかきまわしました。

国土が出来たばかりで、水に浮かんだ油のように、
クラゲのように漂っている所をコオロコオロとかき鳴らして引き揚げる時に、
その矛の先からしたたり落ちたものが重なり積もって島となりました。
これがオノゴロ島です。

そこでお二人はその島に天降りして、天の御柱を立てて、八尋殿を建てました。
そこで、イザナギの神が妻のイザナミの命に尋ねました。
「お前の身体はどうなっている。」
「私の身体はよく出来ていますが、足りない所が一か所あります。」

「私の身体もよく出来ているが、余った所が一か所ある。
それでは、私の余ったものを、そなたの足らない所に差し塞いで、
国土を生もうと思うが、どうだろうか。」

イザナギの命がそう言われたので、イザナミの命が
「それはいいですね。」
とお答えになりました。


イザナミは先に声を掛けた

それを聞いてイザナギの命は、
「それでは私とそなたとこの天の御柱を回ってから、夫婦の営みをしよう。」
とおっしゃいました。
「そなたは右から回って、私は左から回って会おう。」と。

約束して、その通りに廻る時に、イザナミの命が先に、
「ああ、なんて素敵な男の人なの。」
と言い、それから、イザナギの命が
「ああ、なんと素敵な乙女よ。」
と言ったあと、イザナギの命が
「女の人が先に言ったのはまずいな。」と言いました。

しかし寝室に行って、夫婦の交わりをして、生んだ子供は水蛭子(ひるこ)でした。
この子は葦船に入れて流して捨てました。
次に淡島(あわしま)を生みました。これも、子供とは扱いませんでした。


二人は占ってもらった

そこで、お二人は、話し合いました。
「今回生まれた子供は良くなかった。
やっぱり、天つ神の所に行って、相談しよう。」
と言って、一緒に参上して天つ神の御意見を求めました。

そこで、天つ神の意見によって、太占(ふとまに)で占って、告げられました。
「女が先に言ったのが良くなかった。また帰って、やり直しなさい。」

そこで、再び天下りして、天の御柱を同じように廻りました。
今度は、イザナギの命が先に
「ああ、なんと素敵な乙女だ。」
と言って、その後、イザナミの命が
「ああ、なんて素敵な男の人。」と言いました。


日本の島々を生む

そうして再び、夫婦の交わりをして生んだ子供は
淡道(あわじ)の穂の狭別(さわけ)の島。
次に伊予の二名(ふたな)の島。

この島は身体は一つで、顔が四つ有りました。
顔ごとに名前が付いています。
伊予の国はエヒメと言い、讃岐の国イヒヨリヒコと言い、
粟の国はオオゲツヒメと言い、土佐の国はタケヨリワケと言います。

次に隠岐の三つ子の島を生みました。またの名は天のオシコロワケ。
次に筑紫の国を生みました。
この島もまた、身体は一つで顔が四つありました。
顔ごとに名前が付いています。

筑紫の国は白日別(しらひわけ)と言い、豊国は豊日別(とよひわけ)と言い、
肥(ひ)の国はタケヒムカトヨクジヒネワケと言い、
熊襲の国はタケヒワケと言います。

次に壱岐の島を生みました。またの名は天の一つ柱といいます。
次に津島を生みました。またの名は天のサデヨリヒメと言います。
次に佐渡の島を生みました。
次にオオヤマトトヨアキヅ島を生みました。
またの名は天つミソラトヨアキヅネワケと言います。

こうして、八つの島を先に生んだので、
大八島国(おおやしまぐに)と言います。

 そうしてから、戻る時に吉備の児島を生みました。
またの名はタケヒカタワケと言います。
次に小豆島を生みました。またの名をオオノデヒメと言います。
次に大島を生みました。またの名はオオタマルワケと言います。

次に女島(ひめしま)を生みました。またの名は天一根(あめのひとつね)と言います。
次に知訶(ちか)の島を生みました。またの名は天の忍男(おしお)と言います。
次に両児(ふたご)の島を生みました。またの名は天の両屋(ふたや)と言います。
                                   (つづく)
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伊邪那美の命(2)

イザナミは火の神を生んで死んでしまう


イザナミは神々を生む


 こうして、国を生み終えて、さらに神を生みました。
生んだ神の名前は、オオコトオシオの神。
次にイワツチビコの神を生み、次にイワスヒメの神を生み、
オオトヒワケの神、天のフキオの神、
オオヤビコの神、カザモツワケノオシオの神、

次に海の神で名は大綿津見の神を生み、
ミナトの神、ハヤアキヅヒコの神、イモハヤアキヅヒメの神を生みました。
(オオコトオシオの神からアキツヒメの神まで合わせて十神。)
このハヤアキツヒコとハヤアキツヒメの二柱の神はそれぞれ川と海を受け持ちました。

次に生んだ神の名は、アワナギの神、次にアワナミの神。
次にツラナギの神、次にツラナミの神。
次に天の水分(ミクマリ)の神、次に国の水分の神、
次に天のクヒザモチの神、次に国のクヒザモチの神。

次に風の神、名はシナツヒコの神を生み、
次に木の神、名はククノチの神を生み、
次に山の神、名は大山津見の神を生み、
次に野の神、名はカヤノヒメの神を生みました。
またの名は野椎(のづち)の神と言います。
(シナツヒコの神より野椎の神まで、合わせて四神。)
この大山津見の神とノヅチの神の二柱はそれぞれ山と野を受け持ちました。

次に生んだ神の名は天の狭土(さづち)の神、次に国の狭土の神、
次に天の狭霧の神、次に国の狭霧の神、
次に天の闇戸(くらど)の神、次に国の闇戸の神、
次に大戸惑子(おおとまとひこ)の神、次に大戸惑女(おおとまとひめ)の神。
(天の狭土の神から大戸惑女神の神まで、合わせて八神。)

イザナミは火の神を生んで亡くなってしまう

次に生んだ神の名は、鳥の石楠船(いはくすぶね)の神、
またの名は天の鳥船と言います。
次にオオゲツヒメの神を生みました。
次に火のヤギハヤオの神を生みました。
またの名は火のカガビコの神と言い、またの名を火のカグツチの神と言います。

 この子を生んだために、イザナミの命は陰部を焼かれて
病み臥すようになりました。
吐いたものに生まれた神の名は金山ビコの神、次に金山ビメの神。
次に糞に生まれた神の名はハニヤスビコの神、次にハニヤスビメの神。
次に、尿に生まれた神の名はミツハノメの神、次にワクムスヒの神。
この神の子は、豊ウケビメの神といいます。
そうして、イザナミの神は火の神を生んだのが原因で、ついに亡くなりました。
(天の鳥船より、豊ウケビメの神まで、合わせて八神)。

 すべてイザナギとイザナミの二柱の神が共に生んだ島、14島、神は35柱。
(これはイザナミの神がまだお亡くなりになる前に生みました。
ただ、オノゴロ島は生んだのではありません。
また、蛭子と淡島とは、子供の数には入れません。)

イザナギの命が
「いとしい私の妻を、子供一人に換えてしまったとは。」
と嘆いて、枕もとに腹這い、足元に腹這って声を上げて泣いた時に、
涙に生まれた神は、香山(かぐやま)の畝尾(うねお)の木の本に鎮座する、
泣沢女(なきさわめ)と名付けられた神です。

こうして、亡くなったイザナミの神は出雲の国と伯耆(ほうき)の国との境の
比婆(ひば)山に埋葬されました。
                                    (つづく)
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伊邪那美の命(3) 

夫が黄泉の国に迎えに来てくれた


イザナミは黄泉の国の食べ物を食べてしまった


イザナギの命は、亡くなってしまったイザナミの命に会いたいと思って、
黄泉の国に追って行きました。
イザナミの命はそれを聞いて、御殿の閉ざされた戸から出て、
夫を迎えに出ました。イザナギの命は説得して言いました。
「いとしい私の妻よ、私とそなたと作った国はまだ、出来上がっていない。
だから、戻ってくれ。」

イザナミの命が答えて、言いました。
「悔(くや)しいです。もっと早く来て下さったらよかったのに。
私は、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。
けれども、いとしいあなたがこんな所まで来て下さったなんて、畏れ多い事。
それなら、私も戻りたいから、しばらく黄泉の国の神と交渉して来ます。
それまで、私を見ないでください。」

亡骸から雷の神々が生まれる

 こうして、御殿の中に帰って行った妻を待つ間、
イザナギの命はひどく長く待たされて、待ちきれなくなってしまいました。

そこで、ミズラに結った髪の左に刺したユツツマ櫛(ぐし)の端っこの太い所を一本、
折って、火を灯して中に入って見ると、妻の亡骸にはウジがモゾモゾとたかっていて、
頭には大雷(おおいかづち)がいて、
胸には火雷(ほのいかづち)がいて、
腹には黒雷がいて、
陰部には析雷(さきいかづち)がいて、
左の手には若雷がいて、
右の手には土雷がいて、
左の足には鳴雷(なりいかづち)がいて、
右の足には伏雷(ふしいかづち)がいて、
合わせて八柱の雷神が生まれていました。

夫は逃げる

 イザナギの命はそれを見て恐れをなして逃げて帰りました。
イザナミの命は「私に恥をかかせた。」と言って、
すぐに黄泉の国のシコメを遣(つか)わして追い掛けさせました。

それを見て、イザナギの命が黒い髪飾りを取って投げ捨てると、
たちまちにブドウの実がなりました。
黄泉の国のシコメがこれを拾って食べている間に、逃げて行きましたが、
さらに追い掛けて来たので、
右のミズラに刺したユツツマ櫛を取って投げ捨てると、
たちまちにタケノコが生えて来ました。
シコメがこれを抜いて食べている間に、さらに逃げました。

この後、イザナミの命はさっきの八柱の雷神に
千五百(ちいお)の黄泉国の軍勢を添えて追わせました。
すると、イザナギの命は身に付けていた十拳剣(とつかのつるぎ)を抜いて、
後ろ手に振りながら逃げて行きました。

軍勢はさらに追いかけて来て、
黄泉ひら坂(よもつひらさか)のふもとに着きました。
その時、イザナギの命が、そこに、なっていた桃の実を三つ取って、
待ち構えて投げつけると、みんな逃げて帰りました。

そこで、イザナギの命はその桃の実に言いました。
「お前は、私を助けてくれたようにして、
葦原の中つ国にいるすべての青人草(あおひとくさ=人々)が
苦しい瀬に落ちて憂(うれ)い悩む時に助けてあげなさい。」
と言って、オオカムヅミの命と名を授けました。

夫から絶縁を言い渡される

 最後に、イザナミの命がみずから追いかけて来ました。
そこで、イザナギの命は千引(ちびき)の岩をその黄泉比良坂(よもつひらさか)
に引いて塞いで、その岩を間に置いて、互いに向かい合って立ち、
イザナギの命が絶縁の言葉を言い渡しました。

すると、イザナミの命は、
「いとしいあなた。こんな事をするなら、あなたの国の人々を一日に千人、
くびり殺します。」
と言いました。

そこで、イザナギの命が言いました。
「いとしいわが妻よ、そなたがそんな事をするなら、
私は一日に千五百の産屋を建てよう。」

こういう事から、一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まれるようになりました。

こうして、そのイザナミの命を名づけて、黄泉津大神(よもつおおかみ)と言います。
また、一説には、追いついたという意味で道敷(ちしき)の大神と名付けたと言います。

また、その黄泉の坂で塞いだ岩は道反(ちがえし)の大神と名付け、
また、塞がっている黄泉戸(よみど)の大神とも言います。
その黄泉比良坂(よもつひらさか)は、
今、出雲の国の伊賦夜(いふや)坂と言います。
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