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                                   【日本書紀】   

景行天皇(11)

日本武尊の系図

日本武尊ははじめに両道入姫(ふたぢのいりひめ)の皇女(ひめみこ)を娶って妃とし、稲依別王(いなよりわけのみこ)、足仲彦(たらしなかつひこ)天皇(仲哀天皇)、布忍入姫命(ぬのしいりびめのみこと)、稚武王(わかたけのみこ)が生まれました。
この中の第一子の稲依別王は犬上の君、武部の君の二つの族の始祖です。

日本武尊は又、吉備の武彦の娘、吉備の穴戸の武姫を妃として、武卵王(たけかひごのみこ)と十城別王(とおきわけのみこ)が生まれました。
兄の武卵王は讃岐の綾の君の始祖です。弟の十城別王は伊予別君の始祖です。

また次の妃の穂積氏の忍山の宿禰の娘の弟橘姫稚武彦王を生みました。

52年の夏5月4日に景行天皇の皇后の播磨の太郎姫(おおいらつめ)が亡くなりました。
(太郎姫は日本武尊の生母)
秋7月7日に八坂入媛命を皇后としました。

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次の二人は神功皇后の三韓攻撃の帰りに、それぞれ唐津市と平戸市に警備の為に残されて、
祭神として祀られています。

稚武王 ⇒ 唐津市呼子加部島 田島神社 祭神
十城別王 ⇒ 平戸市 志志岐神社

詳しくは 『ひもろぎ逍遥』志式神社(5)
哀しき神々たち 三良天神と志志岐三神 に書いています。
http://lunabura.exblog.jp/13130472/


十城別命の太刀が平戸城に展示されています。
環頭の太刀(国指定文化財、亀岡神社所蔵、平戸城天守閣)
柄頭を環状にまるめ、水牛の角の鍔、竹を馬革で包んだ鞘を持つ93㎝の鉄製直刀。
神功皇后の朝鮮出兵当時の武将の刀であったと伝えられています。志志岐神社祭神である十城別命(ときわけのみこと)は、日本武尊の御子であり、仲哀天皇の弟。

平戸観光再発見
http://www.hirado-net.com/history/cate01_02.php
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ヤマトタケルの命(日本武尊)(3)

東征ーミヤズ姫とオトタチバナ姫


東征
そこで、景行天皇はまた重ねてヤマトタケルの命に言いました。
「東の方12道の荒ぶる神、また、まつろわぬ人どもを平定せよ。」
そう言うと、吉備の臣らの祖先の、ミスキトモミミタケヒコをお伴につけて、
ヒヒラ木で作った八尋矛(やひろほこ)を授けられました。

こうして、ヤマトタケルの命は勅命を受けて、退出しました。
伊勢の大神宮に立ち寄って、神のまします所を参拝して、
斎宮をしていた叔母のヤマト姫に言いました。

「天皇は私に死ねと思っていらっしゃるのか。
西の方の悪いやつらを討ちに行かせて、戻って来てから、
まだ、それほどの時間も経っていないのに、どうして軍勢もつけないで、
またさらに東の方12道の悪いやつらを平定せよと命ぜられるのか。
こうして考えると、やっぱり私に死ねと思っていらっしゃるんだ。」

と嘆いて、泣きながら言うと、ヤマト姫は草薙の太刀を授けて、
「もし、火急の事が有ったら、この袋の口を開けなさいませ。」
と言って袋を与えました。

ミヤズ姫

こうして、尾張の国に着いて、尾張の国造(くにつくり)の祖先の
ミヤズ姫の家に行きました。
そこで、姫と契りを交わそうと思いましたが、
また戻って来た時にそうしようと思って、約束をして、
東(あずま)の国に行って、山河の荒ぶる神、また、まつろわぬ人どもを
ことごとく平定しました。

こうして相模の国に着いた時、その国造が偽って言いました。
「この野の中に大沼があります。
その沼の中にすむ神はひどく荒れすさぶ神です。」と。
そこでヤマトタケルの命は見てみようと野に入って行きました。

すると、その国造はその野に火を点けました。
こうして、騙されたのに気づいて、叔母のヤマト姫がくれた袋の口を
開いて見ると、火打ち石がその中に入っていました。

そこで、まず太刀で草を刈り取って、その火打ち石を打って、向かえ火を点けて、
こちらからも焼いて火を退けさせて、生還しました。
それから、その国造どもを切り滅ぼして、火をつけて焼きました。
こういう事から、そこを焼津といいます。

弟橘姫

そこから走水(はしりみず―浦賀水道)の海を渡る時に、
その渡りの神が波を起こして船をぐるぐると廻して、進む事が出来ませんでした。

すると后(きさき)の弟橘姫(おとたちばなひめ)が言いました
「私めが、御子に代わって海の中に入りましょう。
御子は派遣された勅命を成し遂げて、帝にご報告をなさいませ。」

と言って海に入ろうとする時に、菅で編んだ敷物を八重、
皮の敷物を八重、絹の敷物を八重、波の上に敷いて、その上に下りました。

すると、その荒波は自然と静まって、船が進む事が出来ました。
その時、弟橘姫が歌った歌。
「相模の小野で 燃える火の 火中に立って 私を思って下さったあなた」

それから七日後に、弟橘姫の櫛が浜辺に打ち寄せられました。
そこでその櫛を拾って、お墓を作って納めました。                (つづく)
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ヤマトタケル(日本武尊)(4)

あづまはや・ミヤズ姫・伊吹の神


あづまはや

 ヤマトタケルの命が、そこからさらに奥に入って、
荒ぶる蝦夷(えみし)どもをことごとく平定し、
また山河の荒ぶる神どもを平定して、都へ戻って来る途中、
足柄の坂の麓に着きました。
干し飯(かれひ)を食べている時に、
その坂の神が白い鹿に化けて、現れ出ました。

そこで、食べ残したノビル(野草)の片端を持って、待ち受けて打ち付けると、
その眼に当たって殺してしまいました。
その後、その坂に登って頂きに立つと、亡くなった弟橘姫が思い出されて、
三回「我が妻よ。」と嘆きました。
この事から、その国をアヅマと言うようになりました。

その国を越えて甲斐に出て、酒折(さかおり)の宮に居る時に歌を詠みました。
  新治(にいばり) 筑波を過ぎて 何日寝ただろうか。
と詠みました。

すると、かがり火の番をする老人が、その歌に続けて歌いました。
  日々を数えて 夜は9夜 日は10日過ぎました。
それを聞いたヤマトタケルの命は老人をほめて、
即座にアヅマの国造(くにのみやつこ)に任命しました。

ミヤズ姫

 その国から科野(しなの)の国を越えて、科野の坂の神を平定して、
尾張の国に戻って来て、前に約束していたミヤズ姫のもとに行きました。

そこで、大宴会が行われた時、ミヤズ姫が大きな杯を捧げ持って来ました。
その時、ミヤズ姫の重ね着の衣の裾に、月のものの血が付いていました。
それを見て、ヤマトタケルの命は歌を詠みました。

  ひさかたの 天の香具山の上を 
  鋭い鎌(かま)のように 首を伸ばして飛んで行く 
  白鳥の首のように か細くて しなやかなあなたの腕を 
  枕にしようと 私は思うのだけど
  そんなふうに共寝をしようと 思うのだけど
  あなたの着ている 衣の裾に 月が立っているよ。

ミヤズ姫が歌で返しました。

  高い空で光輝く 日の御子よ
  天下を治める 我が君よ
  年が経ってしまったので、
  その間、月は何度も来ては過ぎ去って行きました。
  ほんと、ほんと、ほんと
  あなたを待ち切れないで、私の衣の裾に 月が立ってしまいました。

こう詠み交わしながら、二人は結婚して、
ヤマトタケルの命は身につけていた草薙の剣をミヤズ姫の所に置いて、
伊吹山の神を討ち取りに出かけました。

伊吹山の神

ヤマトタケルの命が
「この山の神は 素手で真正面から討ち取ってやるさ。」
と言って、その山に登った時、白いイノシシに出くわしました。
その大きさは、牛のようでした。
その時、
「この白いイノシシに化けたのは、神の使いだな。
今殺さなくても、戻って来る時に殺そう。」
と、言挙(ことあげ)をして、登って行きました。
(言挙とは自分の意志を言い立てる事で、タブーでした。)

そのために、ひどい雹(ひょう)が降って来て、
ヤマトタケルの命は意識がもうろうとなってしまいました。
この白いイノシシに化けたのは、神の使いではなく、神そのものだったので、
言挙をしてしまったために、意識をもうろうとさせられたのでした。

そうしながらも何とか戻って来て、玉倉部(たまくらべ)の清水について、
一息つくと、次第に意識がはっきりとして来ました。
そこで、その清水を居寤(いさめーそこに居るうちに覚めた)の清水と言います。
(つづく)
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ヤマトタケル(日本武尊)(5)


天翔(あまか)ける白鳥

そこを出立して、タギノのあたりに着いたとき、ヤマトタケルの命は、
「私の心はいつも空をも翔けて行こうと、前向きなのに、今日は足が進まない。
たぎたぎしく(たどたどしく)なってしまった。」
と言いました。それで、この地をタギと言います。

そこからほんの少し進んだのですが、とても疲れたので、
杖をついて、ようやく歩きました。
それで、そこを杖つき坂と言います。

尾津の岬の一本松の元に来て座った時に、
以前、食事をした時に忘れていた太刀が無くならずに、そのまま残っていました。
そこで、歌を詠みました。
  尾張に まっすぐ向かった 尾津の岬の 一本松よ、お前さん。
  一本松が 人間だったなら、太刀をはかせたのに、
  衣を着せてやったのに。一本松よ、お前さん。

そこからさらに進んで、三重の村に着いたとき、また言いました。
「私の足は、三重に折れ曲がったようで、とても疲れた。」と。
それで、そこを名づけて、三重と言うようになりました。

そこからさらに行って、能煩野(のぼの)に着いたとき、
国をしのんで詠みました。
  ヤマトは 国の中心の 素晴らしい所。
  重なり合う 青い垣根のような 山々の懐に 
  抱かれている ヤマトはなんとうるわしい。

又、歌を詠みました。
  命があって 元気な若者は
  畳んだムシロのように、重なりあった 
  平群(へぐり)の山の 大きな樫の葉を手折って、髪飾りに挿せ。
  若者たちよ。

この歌は国をしのぶ歌です。又、詠みました。
  ああ、いとしい私の家の方に 雲が湧いて来る。
これは片歌です。

この時、病が急に重くなりました。そこで、歌を詠みました。
  乙女の 床の所に 私が置いた つるぎの太刀。 
  その太刀はどうなっただろう。

そう、歌い終わると、そのままお亡くなりになりました。
その知らせは早馬で帝に伝えられました。

それを聞いたヤマトの后たちや御子たちは、一緒に下って行って、
御陵を作って、そこのナヅキ田に腹這い、身をよじって、
大声で泣いて、歌を詠みました。
  なづきの田の 稲の茎に
  稲の茎に 腹這って、身をよじっている 山芋よ。
  (まるで、私たちのようだ)

その時、ヤマトタケルの命は大きな白い鳥になって、
天を飛翔して、浜の方に飛んで行きました。

それを見て、后や御子たちは小竹の切り株で足を切ってしまっても、
その痛さを忘れて、泣きながら追いかけました。
その時の歌。
  丈の低い小竹原(しのはら)で 
  腰まで小竹がまつわり付いて進めない。
  空は飛べない。 歩いて行かなきゃ。

又、白鳥を追って海に入って、難渋しながら行った時に、詠んだ歌。
  海を行けば 腰まで浸かって 難渋する。
  まるで大きな川の 浮草のようで、
  海はためらってしまう。

白鳥はさらに飛んで、岩の多い磯に止まった時に、詠んだ歌。
  浜の千鳥よ 砂浜には行かずに、
岩ばかりの磯を伝って行くなんて。

この四つの歌は、みな、その葬儀の時に歌われました。
それから後、今に至るまで、その歌は
天皇の大葬の時に歌われるようになりました。  

白鳥はその国から飛翔して、河内の国の志幾に留まりました。
そこで、そこに御陵を作って、御霊を鎮めました。
その御陵に、白鳥の御陵と名付けました。
ところが、白鳥はそこから更に天に飛翔してしまいました。

このヤマトタケルの命が国を平定しに出征して回った時、
久米の直(あたえ)の祖である、ナナツカハギという者が
常に膳夫(かしわでー料理人)として、お仕えしました。


このヤマトタケルの命がイクメの天皇の娘、フタヂノイリビメの命を妻として、
生まれた御子はタラシナカツヒコの命。
又、あの、海に入ったオトタチバナのヒメの命を妻として、
生まれた御子はワカタケルの王。
又、近淡海の安の国の造の祖、オホタムワケの娘、フタヂヒメを妻として、
生まれた御子はイナヨリワケの命。

又、吉備の臣タケヒコの妹、大吉備タケヒメを妻として、
生まれた御子はタケカヒコの王。
又、山代のククマモリヒメを妻として、生まれた御子はアシカガミワケの王。
又、ある妻の子、オキナガタワケの王。
ヤマトタケルの命の御子の数は合せて六柱です。

この中で、タラシナカツヒコの命は天下を治めました。
(この方が仲哀天皇です。)
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