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                                   【古事記】   

天照大御神(2)

アマテラスと高木神は葦原の中つ国を手に入れる。

               (高御産巣霊神=高木神)

豊葦原の水穂の国は我が子の治める国である。

天照大御神は、
「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいおあき)の
水穂(みずほ)の国は私の御子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
(まさかつあかつかつはやひあめのおしほみみ)が治める国である。」
命じて言われ、天忍穂耳命が天降り(あまくだり)しました。

天忍穂耳命の天降りの中断
天忍穂耳命は天の浮橋に立ったのですが、
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国はひどく騒いでいるなあ。」
と言って、戻って来て天照大神にその事を申し上げました。

そこで、高御産巣日神と天照大神は命じて、
天の安河の河原に八百万の神を集めて、
思金(おもいかね)の神に考えさせて、言いました。

「この葦原の中つ国は私の御子が治める国で、私が委ねて与えた国である。
しかし、この国にはすばしこい荒ぶる国つ神どもが大勢いると思われる。
そこで、どの神かを遣わして、帰順させてほしい。」と。

天のホヒの神の派遣
思金神や八百万の神が協議して言いました。
天の菩比(あめのほひ)の神を遣わすのがよろしいでしょう。」と。
そこで天の菩比の神を遣わすと、そのまま大国主の神に媚(こ)びて従って、
三年たっても戻って来ませんでした。

天の若日子の派遣
そこで高御産巣日神と天照大御神は多くの神々に尋ねました。
「葦原の中つ国に遣わした天の菩比の神はずっと帰って来ない。
今度はどの神を遣わせばよいだろうか。」
そこで思金神が
天津国玉の神の子、天の若日子(わかひこ)を遣わすのがよいでしょう。」
と申し上げました。
これによって、天のマカコ弓、天のハハ矢を天の若日子に授けて遣わしました。

天の若日子はその国に天降りすると、すぐに大国主の神の娘の
下照比賣(したてるひめ)を娶(めと)り、
またその国を自分の国にしようと思うようになって、
八年たっても戻って来ませんでした。

鳴女の派遣
そこで天照大御神と高御産巣日神が他の神々に尋ねました。
「天の若日子はずいぶん経つのに戻って来ない。
また、誰か他の神を遣わして、天の若日子が久しく留まる訳をたずねよう。」
そこで、諸神と思金神が
「雉(きじ)で、名前が鳴女(なきめ)という者を遣わしましょう。」
とお答え申し上げたので、鳴女に言われました。

「おまえが行って、天の若日子にこう尋ねよ。
『そなたを葦原の中つ国に使わしたのは、
その国の荒ぶる神どもを説得して帰順させよと言う事だった。
どうして、八年も経つのにまだ帰って来ないのか。』と。」

そこで鳴女は天降りして、天の若日子の家の門にある湯津楓
(ゆつかつら)の木に止まり、天つ神の言われた通りに言いました。

すると、天の佐具賣(さぐめ)がこの鳥の言う事を聞いて、
天の若日子に言いました。
「この鳥は鳴き声がとても不吉です。射殺すべし。」
と進言すると、すぐに天の若日子は天つ神が授けた天のハジ弓、
天のカク矢を持って来て、その雉を射殺しました。

すると、その矢は雉の胸を射通し、突き抜けて、
さかさまに高天原に射上げられて、天の安河の河原にいる天照大御神と
高木神の元に戻って来ました。この高木神は高御産巣日神の別の名です。

高木神がその矢を取って見ると、血がその矢の羽についていました。
そこで、高木神は
「この矢は天の若日子に授けた矢だ。」
と言って、諸神に見せて言われました。
「もし、天の若日子が我々の命令に忠実で、悪い神を射た矢が
戻って来たのなら、天の若日子には当たるな。
もし、反逆の心が有るなら、天の若日子に当たって禍(わざわい)せよ。」
と言って、その矢を取って、その矢が開けた中つ国との境の穴から、
突き返すと、天の若日子が朝、寝床に寝ている時、
その胸に当たって死んでしましました。(これが還り矢の語源です。)

またその雉も戻って来ませんでした。
コトワザに「雉の頓使(ひたつかい)」(雉の行ったきり)という謂われは
ここから来ています。

タケミカヅチの神の派遣
―略―
(天の若日子の派遣が失敗したので、高天原では再び諸神の相談があって、
建御雷の神を派遣させる事が決定しました。)

天照大御神は建御雷(たけみかづち)の神に
天の鳥船の神を付けて遣わしました。
この二柱の神は出雲の国の伊那佐の小浜に天降りして、
十掬剣(とつかつるぎ)を抜いて、さかさまに波頭に刺し立て、
その剣の前に胡坐を組んで座り、大国主の神に尋ねて言いました。

「天照大御神、高木の神の命令で、尋ねるために私を遣わされた。
『そなたが治める葦原の中つ国は我が御子が治める国ぞ。』との仰せである。
そこで、なんじの心はいかがであるか。」
大国主の神は
「私めは申し上げますまい。
我が子の八重事代主(やえことしろぬし)の神が答えるでしょう。
しかし、我が子は鳥の遊びをして、魚を取っているので、
御大(みほ)の前(さき)に行って、まだ帰って来ません。」と答えました。

そこで建御雷の神は、天の鳥船の神を遣わして、
八重事代主の神を引き立てて来て、お尋ねになった所、
八重事代主の神は、父神に語って言いました。
「畏れ多い。この国は天つ神の御子に献上しましょう。」
と言って、そのまま船を踏みつけて傾かせて、
青い芝で作った神域を示す垣根を作り、天の逆手(呪術的な拍手?)を打って、
身を隠されました。 
―略―
(この後、建御雷の神はもう一人の御子とも対決して勝利し、
ついに出雲の降伏が決定して、建御雷の神が高天原に戻って来ます。)

天降りをニニギノ命に変更する
そこで、天照大御神と高木の神の命令で、
太子(ひつぎのみこ)の天の忍穂耳命に言われました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告があった。
だから、以前にその国を与えた通りにして、天降りして、治めなさいませ。」と。

そこで太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。
名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひこひこほ)のニニギノ命です。
この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と
結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)。
次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。
だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」と言われました。
             
見知らぬ神との交渉役をアメノウズメに決定する
そこで日子穂のニニギノ命が天降りをしようとする時に、
天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。

それを見て、天照大御神と高木の神はアメノウズメの神に命じて言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
『我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。』と。」

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。
「私は国つ神、名は猿田彦の神です。こうして出て来たのは、天つ神の御子が
天降りなさると聞いたので、道案内をしようとして、参上しました。」
こうしてニニギノ命は、五人の職人の長たちを連れて天降りなさいました。

                (つづく)



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瓊瓊杵命(1)
ニニギノみこと

ニニギノ命は父の代わりに天降りをする事になる


天照大御神と高木の神の命令で、太子(ひつぎのみこ)の
天の忍穂耳命に言われました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告がありました。
だから、以前にその国をそなたに与えた通りに、
天降りして、治めなさいませ。」と。

そこで太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。
名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひだかひこほ)のニニギノ命です。
この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と
結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)。
次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。
だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」と言われました。
                (ニニギノミコト  天孫の誕生の巻)

ニニギノ命を案内する神が現れる

そこで日子穂(ヒコホ)のニニギノ命が天降りをしようとする時に、
天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。

それを見て、天照大御神と高木の神はアメノウズメの神に命じて言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。
だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
『我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。』と。」

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。

「私は国つ神、名は猿田彦の神です。
こうして出て来たのは、天つ神の御子が天降りなさると聞いたので、
道案内をしようとして、参上しました。」

ニニギノ命は神々や職人たちを連れて天降りをした

こうしてニニギノ命は、アメノコヤネの命、フトダマの命、アメノウズメの命、
イシコリドメの命、タマノヤの命、合わせて五人の職人の長たちを連れて、
天降りなさいました。

この時に、天照大御神は天の岩戸の時に作られたヤサカの勾玉と鏡、草薙の剣を授け、
また、常世の思金(おもいかね)の神、田力男(たぢからお)の神、
天石門別(あめのいわとわけ)の神をお伴として、お遣わしになりました。

そうして、天照大御神はニニギノ命に
「この鏡を我が御魂(みたま)として、私に仕えるように仕えなさい。」
と言われました。次に、思金(オモイカネ)の神には、
「高天原に政(まつりごと)があるように、中つ国でも政をしなさい。」
とおっしゃいました。

   この二柱の神はサククシロ、イスズの宮に御祭りしています。
   次にトヨウケの神、これは外宮の度相(わたらい)に鎮座する神です。

   次に、天の石戸別(いわとわけ)の神、
   またの名は、櫛石窓(くしいわまど)の神と言い、
   またの名は豊石窓(とよいわまど)の神と言います。
   この神は御門(みかど)の神です。

   次に手力男(たぢからお)の神は佐那那県(さなながた)に鎮座しています。
   こうして、天の児屋の命は中臣の連(むらじ)の祖、
   布力玉の命は忌部の首らの祖。

   天のウズメの命は猿女の君らの祖。
   イシコリドメの命は作鏡連らの祖。
   玉の祖の命は玉祖連らの祖となりました。


 こうして、ニニギノ命は天の石位(あまのいわくら)を離れ、
天の川を押し分けて、威風堂々と道をかき分けて、
天の浮橋にお立ちになって、筑紫の日向の高千穂のクジフルタケに
天降りなさいました。

その時、天忍日(あめのおしひ)の命と天津久米(あまつくめ)の命の二人は
天の矢を入れる入れ物を背負って、持ち手が丸い太刀を身につけ、
天のハジ弓を持ち、天のマカコ矢を手に挟み持ち、先導しました。

そうして、天忍日の命が天津久米の命に言いました。
「ここは韓国に向かい、カササの岬を通って、
朝日のただ刺す国、夕陽の照り映える国だ。だから、本当にいい所だぞ。」
そう言って、地中深く、高天の原にも届くような、宮柱を立てました。

ニニギノ命はアメノウズメに猿田彦に仕えよと命じた

それから、ニニギノ命がアメノウズメの命におっしゃいました。
「われわれの先を案内して仕えてくれた猿田彦の大神は、
迎えに出て来られた理由を直接尋ねたそなたがお送り申せ。
また、その神の御名をもらって、お仕え申せ。」と。 

こうして、天孫降臨のお伴をしたアメノウズメの命は
猿女(さるめ)の君の先祖となりました。
猿女の君とは鎮魂祭の舞いや、大嘗祭の前を歩いたりして奉仕する
祭祀関係の女官たちの事です。
この女官たちが猿田彦の名を付けているのはこれが由来です。

ニニギノ命は美人に出会ってプロポーズした

 ニニギノ命が笠沙の御崎(かささのみさき)で、美しい乙女にたまたま出会いました。
「そなたは誰の娘か?」
と尋ねると、
「大山津見の神の娘です。名前はカムアタツヒメ。
またの名木花咲耶(をコノハナノサクヤ)ビメと言います。」
と答えました。

ニニギノ命はさらに尋ねました。
「そなたには兄弟がいるのか。」
「姉のイワナガヒメがいます。」
と答えました。
「私はそなたと共寝をしたいのだが、そなたはどうだ。」
とおっしゃっると、
「私は答えられません。父上の大山津見の神が返事を申し上げるでしょう。」
と乙女は答えました。

 そこでそのニニギノ命の人は結婚の申し出をするために、
供の者を遣わしました。
大山津見の神は大変喜んで、姉のイワナガヒメを添えて、
数多くの持参品を持たせて、二人の娘を差し出しました。

ニニギノ命は姉の石長姫を送り返した

その姉のイワナガヒメは醜かったので、ニニギノ命は恐れをなして、
親元に送り返しました。
その妹のコノハナサクヤヒメだけを留めて、一夜共寝をしました。

 一方、大山津見の神はイワナガヒメが送り返されたのを恥じて、
ニニギノ命に申し送りました。
「わが娘二人を一緒に差し出したのは、イワナガヒメをお側に仕えさせたら、
これから天孫代々の御子さまたちの命は、
雪が降っても、風が吹いても、常に岩のように永遠にどっしりと動かずに
おられますようにとの事です。

また、コノハナサクヤヒメを仕えさせれば、木の花が咲き誇るように
栄えて戴きたく、神の占いをした上で差し出しました。
ところがこのようにイワナガヒメだけを返して、
コノハナサクヤヒメ一人留められました。

だから、天つ神の御子のお命は、木の花がはかないのと同じようになるでしょう。」
と。
これが原因で、今に至るまで、天皇家の方々のお命は
神代のようには長命ではないようになりました。

ニニギノ命は妻の妊娠相手を疑う

 さて、この後、コノハナサクヤヒメがニニギノ命の宮に出かけて行って
申し上げました。
「私は妊娠しました。もう、出産まぢかです。
この天つ神の御子は、こっそりと生むわけにはいきません。
それで、こうやって申し出ました。」

それを聞いて、ニニギノ命は
「サクヤヒメよ。一晩で身籠ったというのか。それは私の子ではあるまい。
だれか、国つ神の子にちがいあるまい。」
とおっしゃいました。

コノハナサクヤヒメは、そう言われて、
「私が身籠った子が、もし国つ神の子ならば、生んでも無事ではないでしょう。
もし、天つ神の御子ならば、無事でしょう。」
と言って、すぐに出入り口のない八尋殿を作って、中に入り、土で塗り塞ぎました。

 いよいよ生む時になって、火を付けて生みました。
その、火が盛んに燃える時に生んだ子の名は火照命(ほでりのみこと)。
次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)。
次に生んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)。
またの名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)と言います。

                    (古事記 木花佐久夜毘売の巻)



ニニギノ命については古事記ではこの先は書いてありません。

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猿田彦の神 (1) 


天照大御神と高木の神の命令で、ニニギノ命が葦原の中つ国に
天降り(あまくだり)しようとする時のお話です。

サルタヒコは天の川の真ん中に光り輝いて立っていた。

天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。
それを見て、天照大御神は高木の神と共に、アメノウズメの神に言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。
だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
(我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。)」と。

声をかけて来たアメノウズメに名乗る

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。
「私は国つ神、名は猿田彦の神です。
天つ神の御子が天降りなさると聞いたので
道案内をしようとして、参上しました。」

ニニギノ命は神々や職人たちを連れて天降りをした

こうしてニニギノ命は、アメノコヤネの命、フトダマの命、アメノウズメの命、
イシコリドメの命、タマノヤの命、合わせて五人の職人の長たちを連れて、
天降りなさいました。

この時に、天照大御神は天の岩戸の時に作られたヤサカの勾玉と鏡、草薙の剣、
また、常世の思金(おもいかね)の神、田力男(たぢからお)の神、
天石門別(あめのいわとわけ)の神をお伴として、
お遣わしになりました。

そうして、天照大御神はニニギノ命に
「この鏡は我が御魂として、私に仕えるように仕えなさい。」
と言われました。
次に、オモイカネの神には
「高天原で政(まつりごと)をしたように、
中つ国でもニニギノ命を支えて、政をしなさい。」
とおっしゃいました。

こうして、ニニギノ命は天の石位(あまのいわくら)を離れ、
天の川を押し分けて、威風堂々と道をかき分けて、天の浮橋にお立ちになって、
筑紫の日向の高千穂のクジフルタケに天降りなさいました。

それから、天忍日(あめのおしひ)の命と天津久米(あまつくめ)の命の二人は
天の矢を入れる入れ物を背負って、
持ち手が丸くなっている太刀を身につけ、天のハジ弓を持ち、
天のマカコ矢を手に挟み持ち、ご先導をしました。

 そうして、天忍日の命が天津久米の命に言いました。
「ここは韓国に向かい、カササの岬を通って、
朝日のただ刺す国、夕陽の照り映える国だ。
だから、本当にいい所だぞ。」
そう言って、地中深く、高天の原にも届くような、宮柱を立てました。

ニニギノ命はアメノウズメに猿田彦に仕えよと命じた

それから、ニニギノ命がアメノウズメの命におっしゃいました。
「われわれの先を案内して仕えてくれた、猿田彦の大神は、
迎えに出て来られた理由を直接尋ねたそなたがお送り申せ。
また、その神の御名をお前はもらって、お仕え申せ。」と。
 
 こうして、天孫降臨のお伴をしたアメノウズメの命は
猿女(さるめ)の君の先祖となりました。
猿女の君とは鎮魂祭の舞いや大嘗祭の前を歩いたりして奉仕する
祭祀関係の女官たちの事です。
この女官たちが猿田彦の名を付けているのはこれが由来です。

            * * *

サルタヒコはひらぶ貝に手を挟まれて溺れ死ぬ

 その猿田彦の神がアザカの地におられる時に、
漁をして、ひらぶ貝に手を挟まれて、
海に引きずり込まれて亡くなりました。 (アザカは地名。)
それで、海の底に沈まれた時の名を底ドク御魂と言い、
海水がぶくぶくと上がってくる時の名をツブタツ御魂と言い、
泡が水面で割れる時の名を、アワサク御魂と言います。
         

猿田彦の神
このように天孫降臨の時に道案内をしたことから、道を開く神として有名です。
神輿が出る時に、先頭を走る赤いお面の神様がこの神です。

道祖神
福岡県の北部には、大きな自然石に猿田彦の名を書いたものが
各地で見られます。村の入口に置かれて、村を守っていました。
道路が大きくなった現代でも、片隅に置かれたりしているのを見かけます。

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                                    (つづく)
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天宇受賣神 (Ⅰ) 

天照大御神(アマテラスオオミカミ)が天の岩屋戸を開いて
お籠りになりました。
すると、高天の原は暗く、葦原の中国(あしはらのなかつくに)は
さらに暗くなりました。

このために世の中は夜ばかりになりました。
すると、神々の声はハエの飛ぶ音のように、うるさいばかりになり、
多くの災いが起こりました。
そこで、八百万(やおよろず)の神が、天の安の河原にお集まりになって、
相談をされました。

タカミムスヒの神の子、オモイカネの神に考えさせました。

そうして、常世の国の長鳴き鳥を集めて鳴かせることにしました。
また、イシコリドメの命に鏡を、
タマノヤの命にヤサカ勾玉(まがたま)の首飾りを作らせました。
アメノコヤネの命とフトダマの命に男鹿の肩の骨で占いをさせました。(略)


それから、榊の枝の上の方にヤサカの勾玉を取り付け、
中の枝にはヤタの鏡を掛けて、
下の枝には白い綿と青い麻を下げさせました。


フトダマの命がこれらの物を神への贈り物として捧げ、
アメノコヤネの命が祝詞を申し上げて、
アメノタヂカラオの命が岩戸の脇に隠れ立ちました。

アメノウズメの命は天の香具山の天の日影(ひかげ)をタスキにかけて、
天のツルマサキをかずらとして、
天の香具山の笹の葉を手に持てるように束ねて、
天の岩屋戸の前に、桶(おけ)を伏せて乗り、踏み轟かして神懸かりしました。
胸の乳房があらわに出て、裳のひもが解け、陰部まで押し下がって垂れました。
それを見て、高天原中に鳴り響くほど、八百万の神々がみんな大笑いしました。 

 そこで、天照大御神は「変だ」と思って、天の岩屋戸を細めに開いて、
内側から言われました。
「私が籠っているので、天の原は自然と暗く、
また、葦原の中つ国もみんな暗いだろうと思ったのに、
どうして、アメノウズメは踊って、
また、八百万の神もみんなで笑っているのか。」
とおっしゃいました。

そこで、アメノウズメが申し上げました。
「あなた様に増して、貴い神がいらっしゃいました。
それで、みんなで喜んで笑っているのです。」と。

そう申し上げる間に、アメノコヤの命と、フトダマの命は
その鏡を差し出して、天照大御神にお見せするので、
天照大御神はますます変だと思われて、
ちょっと戸から出て、ご覧になる時に、
隠れて立っていたアメノタヂカラオの命がその御手を取って
引っ張り出しました。

すぐさま、フトダマの命がしめ縄を後ろに引き渡して、申し上げました。
「これより、内側にはもうお入りなさいますな。」

そうして、天照大御神が出て来られた時に、
高天の原も葦原の中つ国も、明るくなりました。

             * 

 それから、ずっと後のことです。
天照大御神の命で、ニニギノ命が葦原の中つ国に天降り(あまくだり)
なさろうとする時の事です。

天の八街(やちまた)に、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。

それを見て、天照大御神と高木の神は、
アメノウズメの神に命じて言われました。

「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。
だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
(我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。)」と。

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。

すると、その神が答えて言いました。
「私は国つ神、名は猿田彦の神です。
こうして出て来たのは、天つ神の御子が天降りなさると聞いたので、
道案内をしようとして、参上しました。」

こうしてニニギノ命は、アメノコヤネの命、フトダマの命、
アメノウズメの命、イシコリドメの命、タマノヤの命、合わせて五人の
職人の長たちを連れて、天降りなさいました。

この時に、天照大御神は天の岩戸の時に作られたヤサカの勾玉と鏡、
草薙の剣、また、常世のオモイカネの神、タヂカラオの神、
アメノイワトワケの神をお伴として、お遣わしになりました。

そうして、天照大御神はニニギノ命に
「この鏡は我が御魂として、私に仕えるように仕えなさい。」
と言われました。

次に、オモイカネの神には
「高天原で政(まつりごと)をしたように、
中つ国でもニニギノ命を支えて、政をしなさい。」
とおっしゃいました。

こうして、ニニギノ命は天の石位(あまのいわくら)を離れ、
天の川を押し分けて、威風堂々と道をかき分けて、
天の浮橋にお立ちになって、
筑紫の日向の高千穂のクジフルタケに天降りなさいました。

それから、アメノオシヒの命とアマツクメの命の二人は
天の矢を入れる器を背負って、持ち手が丸い太刀を身につけ、
天のハジ弓を持ち、天のマカコ矢を手に挟み持ち、ご先導をしました。

 そうして、アメノオシヒの命がアマツクメの命に言いました。
「ここは韓国に向かい、カササの岬を通って、朝日のただ刺す国、
夕陽の照り映える国だ。だから、本当にいい所だぞ。」
そう言って、地中深く、高天の原にも届くような、宮柱を立てました。


 それから、ニニギノ命がアメノウズメの命におっしゃいました。
「われわれの先を案内して仕えてくれた、猿田彦の大神は、
出て来られた理由を直接尋ねたそなたがお送り申せ。
また、その神の御名をお前はもらって、お仕え申せ。」と。

                  *
 
 こうして、天孫降臨のお伴をしたアメノウズメの命は
猿女(さるめ)の君の先祖となりました。
猿女の君とは鎮魂祭の舞いや大嘗祭の前を歩いたりして奉仕する
祭祀関係の女官たちの事です。
この女官たちが猿田彦の名を付けているのはこれが由来です。

 その猿田彦の神がアザカにおられる時に、漁をして、
ひらぶ貝に手を挟まれて、海に沈んで溺れました。

 それで、海の底に沈まれた時の名を底ドク御魂と言い、
海水がぶくぶくと上がってくる時の名を、ツブタツ御魂と言い、
泡が水面で割れる時の名を、アワサク御魂と言います。

              *

その後の事です。
アメノウズメの命は、ある時、海辺で、
すべての魚、大きいものも小さいものも集めて、
「お前らは天つ神の御子にお仕え申すか。
(命を差し出して、献上用のお供え物になるか。)」
と尋ねたところ、
なぎさの魚たちは皆「お仕えします。」とお答えしましたが、
ナマコだけは、何も答えませんでした。

そこで、アメノウズメの命はナマコに言いました。
「お前の口は答えぬ口だ。」
と言って、紐小刀でその口を切り裂きました。
それ以来、ナマコの口は裂けるようになりました。

こうして、代々、島からの朝廷への貢物(みつぎもの)を献上する時には、
初物を猿女の君たちにお与えになりました。                                
                          



                            (Ⅱへつづく)
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木花之佐久夜毘賣       

 ニニギノ命は笠沙の御崎(かささのみさき)で、
美しい乙女にたまたま出会いました。
「そなたは誰の娘か?」
と尋ねるので、
「大山津見の神の娘です。名前はカムアタツヒメ。
またの名をコノハナノサクヤビメと言います。」
と答えました。

ニニギノ命はさらに尋ねました。
「そなたには兄弟がいるのか。」
「姉のイワナガヒメがいます。」
と答えました。
「私はそなたと共寝をしたいのだが、そなたはどうだ。」
とおっしゃったので、
「私は答えられません。父上の大山津見の神が返事を申し上げるでしょう。」
と乙女は答えました。

 そこでそのニニギノ命の人は結婚の申し出をするために、
供の者を遣わしました。
大山津見の神は大変喜んで、姉のイワナガヒメを添えて、
数多くの持参品を持たせて、二人の娘を差し出しました。

その姉のイワナガヒメは醜かったので、ニニギノ命は恐れをなして、
親元に送り返しました。
その妹のコノハナサクヤヒメだけを留めて、一夜共寝をしました。

 一方大山津見の神はイワナガヒメが送り返されたのを恥じて、
ニニギノ命に申し送りました。
「わが娘二人を一緒に差し出したのは
イワナガヒメをお側に仕えさせたら、これから天孫代々の御子さまたちの命は、
雪が降っても、風が吹いても、常に岩のように永遠にどっしりと動かずに
おられますようにとの事です。

また、コノハナサクヤヒメを仕えさせれば、木の花が咲き誇るように
栄えて戴きたく、神の占いをして差し出しました。
ところがこのようにイワナガヒメだけを返して、
コノハナサクヤヒメ一人留められました。

だから、天つ神の御子のお命は、木の花がはかないのと同じようになるでしょう。」
と。
これが原因で、今に至るまで、天皇家の方々のお命は
神代のようには長くはならなくなりました。

 さて、この後、コノハナサクヤヒメがニニギノ命の宮に出かけて行って
申し上げました。
「私は妊娠しました。もう、出産まぢかです。
この天つ神の御子は、こっそりと生むわけにはいきません。
それで、こうやって申し出ました。」

それを聞いて、ニニギノ命は
「サクヤヒメよ。一晩で身籠ったというのか。それは私の子ではあるまい。
だれか、国つ神の子にちがいあるまい。」
とおっしゃいました。

コノハナサクヤヒメは、そう言われて、
「私が身籠った子がもし国つ神の子ならば、生んでも無事ではないでしょう。
もし、天つ神の御子ならば、無事でしょう。」
と言って、すぐに出入り口のない八尋殿を作って、中に入り、土で塗り塞ぎました。

 いよいよ生む時になって、火を付けて生みました。
その、火が盛んに燃える時に生んだ子の名は火照命(ほでりのみこと)。
次に生んだ子の名は火須勢理命(ほすせりのみこと)。
次に生んだ子の名は火遠理命(ほをりのみこと)。
またの名を天津日高日子穂穂手見命(あまつひこひこほほでみのみこと)と言います。

(古事記 木花佐久夜毘売の巻)

この最後に生まれたホヲリノミコトが後に豊玉姫と出会う事になります。
つづきはサイドパーのカテゴリの「豊玉姫」からどうぞ。


ニニギノ命は何故妻を疑った?

古代の夫婦は別居からスタートしていました。

当時は妻問い婚といって、夫が妻の家に夜になって通っていました。
朝になると、自分の家に帰ります。
ですから、夫が妻の所に通わなくなって、他の男が通うようになっても
夫には分かりません。

また、妻の方から見ても、夫が自分以外の女の所に通っても
妻にはわかりませんでした。

このお話では、コノハナサクヤ姫とイワナガ姫の二人は一緒に
ニニギノ命の宮に参内しました。
ニニギノ命はイワナガ姫をすぐに返されて、
木花佐久夜姫だけを残したのですが、それも一夜だけの契りでした。
その後は実家に戻ったのでしょう。
それから10か月経って姫自身が、妊娠を告げるために
出かけていったのです。

このような事情から、ニニギノ命はコノハナサクヤ姫の懐妊の相手を
疑ったのでしょう。

 それにしても、夫から「他の国つ神の子だろう」と言われれば、大問題です。
それをコノハナサクヤ姫は産屋に火を放つという、
女神にしか出来ない激しい方法で証明してみせます。


何故、親は二人の娘を差し出したの?

当時は姉妹が一緒に嫁ぐ風習がありました。

古代は一夫一婦制ではありませんでした。
この二人のように貴人に姉妹を差し出すケースはいくつもみられます。
女性が子供を産んで亡くなるケースもあるし、
子供が小さいうちになくなることも多かった筈です。
共に育ててくれる姉妹を差し出すのも、子孫を残すための知恵だったのかもしれませんね。

兄弟と姉妹とダブルで結婚することもありました。

アジアに残る二夫一婦制

アジアに二夫一婦制の暮らしがあるのをテレビで見ました。
一人の妻に夫が二人です。
二人の夫は兄弟でした。
兄が遠くに羊を売りに行く間、弟と妻が留守を守っていました。

山の中の人口の少ない中で、妻を残して長い旅をする間に、
妻と家畜を守る男が必要です。
それが弟なら一番安心です。

このケースは日本の古代社会を理解する上で大いに役立ちました。

結婚は何歳ぐらいでしたの?

奈良時代の史料では結婚適齢期は男子17~8歳。女子13歳ごろです。
今なら中学生の女の子と高校生の男の子が結婚するくらいの年です。
出産は20歳頃が中心だそうです。


伝承のある神社
此花咲耶姫神社   佐賀県基山町大字園部字古屋敷

ニニギノ命とコノハナサクヤ姫が結婚したという契山(ちぎりやま)があります。

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スペルボーン(Spellborn)