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タグ:天照大御神

  • 神功皇后(4)小山田邑にて祟る神を明らかにする
    [ 2011-03-11 15:48 ]
  • 饒速日命(1)ニギハヤヒはニニギの兄である
    [ 2010-12-24 19:09 ]
  • ニギハヤヒ(3)塩土の翁がニギハヤヒの降りた美しい国を教える
    [ 2010-12-22 18:04 ]
  • 天照大御神(1)誕生・ウケイ・岩戸隠れ・十握剣
    [ 2010-11-04 18:02 ]
  • アマテラスと高木神は葦原の中つ国を手に入れる。
    [ 2010-11-03 16:33 ]
  • アマテラスと高木の神はイワレビコを助ける
    [ 2010-11-02 13:58 ]
  • アマテラスと住吉三神は仲哀天皇に死を告げる
    [ 2010-11-01 15:56 ]
  • 住吉三神(底筒男神・中筒男神・上筒男神)
    [ 2010-10-25 17:56 ]
  • ウケモチの神 神の身体から牛馬と五穀と蚕が生まれた
    [ 2010-10-23 21:18 ]
  • 武内宿禰(6) 日本書紀版 香坂王と忍熊王
    [ 2010-08-05 18:29 ]
                                    【日本書紀】

神功皇后(4)

小山田邑にて祟る神を明らかにする。


仲哀9年、春2月に、仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御された時、皇后は、天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めて、考えました。

祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。そこで、群臣や百寮たちに命じて、国中の罪を払い清め、過ちを改めて、さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。

 3月の1日に、皇后は吉日を選んで、斎宮に入って、自ら神主となりました。その時には武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。中臣の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して審神者(さにわ)としました。

そしてお供えの織り物をたくさん、御琴の頭と尾のところに供えて尋ねて言いました。
「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて下さい。」と。
七日七夜経って、ようやくお答えになりました。

 「神風の伊勢の国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮にまします神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかき・いつのみたま・あまさかる・むかつひめのみこと)。」と。

烏賊津の使主がまた尋ねました。
「この神以外に他の神はいらっしゃいますか。」
お答えがありました。
「旗のように靡くススキの穂が出るように出た吾は、尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である。」と。

「他におられますか。」
天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神(あめにことしろ・そらにことしろ・たまくしいりびこ・いつのことしろのかみ)有り。」

「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
そこで、審神者が言うには、
「今答えずに、また後に出て来られることが有りますでしょうか。」
すると答えがあった。
「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若やかに出てくる神、名は表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)の神がおる。」と。
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
ついに他に神がいるとも言いませんでした。その時に神の言葉を得て、教えの通りにお祭りをしました。
(つづく)


祟る神は、天照大御神、不明神、事代主神、住吉三神でした。

2月5日に仲哀天皇が崩御されて、竹内宿禰が豊浦宮に遺体を送って22日に戻ってくると、3月になって、神功皇后は小山田邑で7日7晩祈って、ようやく神の名を告げられます。

この小山田邑は福岡県古賀市小山田にあります。狭小な地で、秘密が守りやすい地形です。(『ひもろぎ逍遥』にて)

小山田斎宮 (1)(2) 福岡県古賀市小山田 オキナガタラシ姫の神懸かりの地を捜して

このブログを書いた時点では、もう一つの候補地福岡県粕屋郡久山町の「山田の斎宮」と比較しながら、「小山田邑」が正しいだろうと結論付けました。

その後、香椎宮の木下宮司が小山田邑の方に「小山田斎宮」と揮ごうをされた事によって、結論が補強されました。木下宮司は古事記のドイツ語訳を50年かけて完成させています。自社で起きた事件について、私より深く論考された結果によるものと思います。

なお、もう一つの「山田の斎宮」は神功皇后が皇子を出産して後、大和へ向かうまで住んだ聖母屋敷です。群臣と百寮も共に住むにふさわしい広い土地です。

この宮を中心として、竹内宿禰は厳重な守備態勢を整えました。その伝承が伝わるのが「黒男神社」です。(『ひもろぎ逍遥』にて考察)

斎宮(いつきのみや) 福岡県粕屋郡久山町山田 
(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して   二つの斎宮候補地
(Ⅱ) 二つの斎宮の謎が解けた

黒男神社 福岡県粕屋郡久山町
(1)武渟川別命の子孫・阿部氏が武内宿禰を祀る宮 古代の陣営あと
(2)武内宿禰がすべてをかけて守ったもの


香椎宮 小山田斎宮 斎宮(聖母屋敷) 黒男神社




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                                   【古事記】   

饒速日命(1)
(ニギハヤヒ・天の火明の命)
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
あまてる・くにてるひこ・あめのほあかり・くしたま・にぎはやひのみこと

ニギハヤヒはニニギの兄である。

それまでのあらすじ
天照大御神に天降りを命ぜられた天の忍穂耳命葦原の中つ国に向かうが、騒がしいと言って、戻って来た。そこで天照大御神と高木の神は、次々に使者を送って葦原の中つ国(出雲)を制圧した。そこで、天照大御神は改めて天の忍穂耳命に天降りを命じた。ところが…。

【ニニギノ命の天下りの巻】

天照大御神高木の神の命令で、太子(ひつぎのみこ)の天の忍穂耳命に言いました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告があった。だから、以前にその国をそなたに与えたのだから、天降りして、治めなさいませ。」と。
そこで太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひこひこほ)のニニギノ命です。この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)。次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」と言いました。             

【イワレビコの東征の巻】

それまでのあらすじ
イワレビコ(神武天皇)は兄のイツセの命たちと高千穂の宮を発って東に向かった。豊の国の宇佐、筑紫の岡田の宮、安芸の国のタケリの宮、吉備の国の高島の宮を経て、浪速の渡に着いた。(一方、ニギハヤヒはナガスネヒコの妹と結婚していた。)


ナガスネヒコはイワレビコを迎え撃つ
イワレビコの軍勢は、浪速(なみはや)の渡(わたり)を経て、青雲の白肩(しらかた)の津に船で泊まりました。この時、トミノナガスネヒコが軍勢を率いて待ち構えて、戦を挑んできました。そこで船に載せていた楯を持って上陸しました。こうして、そこを楯津といいます。今は日下(くさか)の蓼津(たてつ)と言います。

トミビコと戦った時に、兄のイツセの命はトミビコの猛烈な矢の攻撃に会って、手を負傷しました。そこで言いました。
「私は日の神の御子だから、日に向かって戦うのはよくない。それで、賤(いや)しいヤツにやられて深手を負った。この先、遠回りして、背に日を負う方向から撃とう。」と言って、南の方に進路を取って行く時に、血沼(ちぬ)の海について、その手の血を洗われました。そこで、その地を血沼と言うようになりました。

そこから廻って行って、紀の国の男之水門(おのみなと)に着いて、
「賤しいヤツの矢を受けて死ぬのか。」と雄たけびして、亡くなりました。この謂われから、この水門を名付けて、男の水門と言います。お墓は紀の国の竈山(かまやま)にあります。
  
途中のあらすじ
イワレビコたちは熊野で神剣・フツの御魂と八咫烏を得て、吉野、宇陀、忍坂と進軍して行った。

久米の子らの歌
さてその後、イツセの命を殺したトミビコを再び攻撃しようとした時に、歌った歌。
  力満ちている 久米の猛者たちが
  粟(あわ)畑に生えている臭いニラ、
  そいつの根元を、その芽ごと横ざまに切り払うように
  撃たずにおくものか。

と歌いました。またこうも歌いました。
  力満ちている 久米の猛者たちが
  垣根の元に植えた山椒の木。
  噛めばピリリと辛い、あの辛さを忘れない。
  撃たずにおくものか。

と歌いました。さらに、
  神風の吹く 伊勢の海の 大岩に 
  這いずりまわる キサゴ(巻貝)のように
  這いずってでも、撃たずにおくものか。

又、兄師木(えしき)弟師木(おとしき)を攻撃する時、軍勢はさすがに疲れてしまいました。そんな時に歌った歌。
  楯を並べて イナサの山の 木々の間を 
  行ったり来たりして守って戦ったので
  俺はもう腹が減ってしかたがない。
  島の鳥、ウを飼う鵜飼部(食糧班)よ、今すぐ助けに来てくれ。

ニギハヤヒは天津瑞を献上する
こうして、ついに邇藝速日(にぎはやひ)の命がイワレビコの元にやって来て、申し上げました。
天つ神の御子が天降り(あまくだり)されたと聞きました。そこで後を追って天降って来ました。」
そう言って、天津瑞(あまつしるしー天つ神の子孫である証拠の品)を献上して、お仕え申しました。

ニギハヤヒの命がトミビコの妹のトミヤビメを妻にして、生まれた子供のウマシマヂの命は、物部の連(むらじ)の穂積臣、ウネベの臣の祖先となりました。
こうして、イワレビコの命は荒ぶる神どもを平定し、まつろわぬ人どもを退け払い、畝火(うねび)の白檮原(かしはら)の宮で 天下を治めました。


天津瑞(あまつしるし)
古事記ではどんな品物であったかは書いてありません。
日本書紀では「天羽羽矢1隻と歩靫」となっています。
旧事本紀では「十種神宝(とくさのかんだから)」となっています。
(1、おき津鏡 2、辺津鏡 3、八握剣 4、生玉、5、死反玉 6、足玉 7、道反玉 8、蛇比礼 9、蜂比礼 10、品物比礼)

天津瑞は、いわゆる三種の神器ではないんですね。
ニギハヤヒのセリフが問題です。
天つ神の御子が天降りされたと聞きました。」
と言っています。この天つ神の御子は文脈ではイワレビコになります。天降りをしたのはニニギノ命だったはずですよね。現代人の感覚で訳してはいけないのかな。
トミビコをニギハヤヒが殺した事は日本書紀の方に書いてあります。
日本書紀とは趣がかなり違います。


※ホアカリ=ニギハヤヒで系図を書きましたが、別人とした方がうまくいくのかなあ。
『ひもろぎ逍遥』
◆ニギハヤヒを祀る神社
天照神社 福岡県宮若市儀長
http://lunabura.exblog.jp/15581560/ 

◆ホアカリの命を祀る神社
志式神社 福岡市東区奈多
(5)哀しき祭神たち 
http://lunabura.exblog.jp/13130472/





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                                    【日本書紀】

 饒速日尊(3)
 

 塩土の翁がニギハヤヒの降りた美しい国を教える

〔神武天皇〕

カムヤマトイワレビコ天皇の実名はヒコホホデミです。ヒコナギサタケウラヤフキアヘズの尊の第四子です。母は玉依姫です。海童(わたつみ)の娘です。イワレビコ天皇は生まれながらに明達で、意志が堅固でした。15歳で皇太子となりました。成長して日向国の吾田の邑のアヒラツ姫を娶って妃としました。タギシミミの命が生まれました。45歳になって兄弟たちや子供たちに言いました。

「昔、わが天神、タカミムスヒの尊とオオヒルメの尊がこの豊葦原の瑞穂の国を挙げて、わが天孫ヒコホノニニギの尊に授けた。その時、ホノニニギの尊は天のいわくらを開き、雲の道をかき分けて、先ばらいとともにやって来た。この時はまだ太古で、開けていなかった。暗いながらも正しい道を養って、この西の辺境の地を治めてきた。

皇祖は代々神、聖として善行・威光を積み重ねて長年がたった。天祖が天降りしてよりこのかた、179万2470年余りになる。しかし、遠方の地までは恩沢が行き届いていない。ムラごとに君がいて、村ごとに長がいて、境を隔てていさかいが絶えない。

さて、そこで、塩土の翁に尋ねたところ、
『東の方に美しい地が有ります。青山が四方を囲んでいます。その中に天磐船(あめのいわふね)に乗って飛んで降りた者がいます。』と言った。

私が思うに、その地は必ず大業(あまつひつぎ)を開き広めて、天の下に光り居るのにふさわしいだろう。まさしく天地四方の中心であろう。その飛んで降りて来た者というのは、饒速日(ニギハヤヒ)と言うではないか。是非とも行って都を作ろう。」と言いました。

皇子たちも「もっともです。私たちも常にそう思っていました。早く実行なさってください。」と応えて言いました。その年、太歳が甲寅(きのえとら)にありました。

その年の冬10月5日に天皇はみずから皇子たちや・舟師を率いて東征しました。





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                                   【古事記】   
天照大御神(1)
あまてらすおおみかみ

アマテラスの誕生
イザナギの命黄泉の国から逃げて来て、
筑紫の日向の橘の小門(おど)のアハキ原で禊祓いをしました。
身につけているものを脱いだ時に十二柱の神々が生まれました。
それから、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い。」と言って、
初めて中の瀬に潜って、すすいだ時に十一柱の神々が生まれました。

それから、左の御目を洗う時に生まれた神の名は天照大御神
次に右の御目を洗う時に生まれた神の名は、月読の命
次に御鼻を洗う時に生まれた神の名は、建速(たけはや)スサの男の命。
この時イザナギの神は大変喜んで言いました。
「私は子供を生みに生んで、最後の最後に三柱の貴い子が出来た。」と。

すぐに首にかけていた首飾りの玉のひもをゆらゆらと揺らして、
天照大御神に授けて言いました。
「そなたは高天の原を治めなさい。」
とお任せになりました。
その首飾りの玉の名は御倉板挙(みくらたな)の神と言います。
次に月読の命に、
「そなたは夜の食国(おすくに)を治めなさい。」
と言ってお任せになりました。
次に健速スサの男の命に、
「そなたは海原(うなはら)を治めなさい。」とお任せになりました。

スサノオの命の追放
こうして、それぞれがお言葉に従って、授けられた国を治めておいでになる中で、
スサノオの命は命ぜられた国を治めないで、
ヒゲが胸のところに伸びるまでひどく泣きました。
その泣く様子は、青い山は枯れるまで、川や海は干上がるほどでした。
そのために、悪い神の声はハエがワンワンとたかるように満ちて、
いろんな災いが起こるようになりました。

そこで、イザナギの命がスサノオの命に尋ねました。
「どうしてそなたは授けた国を治めないで泣きわめくのだ。」
「わたくしめは亡き母の国、根の堅洲国に行きたくて、泣いています。」
とスサノオの命は答えました。
すると、イザナギの大神は大変怒って言いました。
「それなら、そなたはこの国に住んではならない。」
と言って、そのまま、追放されました。
こうして、そのイザナギの大神は淡海(おうみ)の多賀に鎮座されています。

スサノオの命とのウケイ
そこで、スサノオの命は
「それならば姉のアマテラス大御神に事情を話してから出て行きましょう。」
と言って、天に昇る時、山川がことごとく鳴り響き、国土がみな揺れました。
アマテラス大御神は弟がやって来ると聞いて驚いて言いました。
「私の弟の命が昇って来るのは、きっと善良な心からではあるまい。
私の国を奪おうとしているにちがいない。」

そう言うと、結っていた髪をほどいて、男の髪型のみずらに結って、
左右のみずらにも、それを留める髪飾りにも、また左右の手にも、
それぞれに八尺(やさか)の勾玉のたくさん連ねた珠を巻き付けて、
背中には千本入る靫(ゆぎ…矢入れ)を背負い、脇にも五百本入る靫をつけて、
また、手首にはイツの竹鞆(たかとも…音の鳴る手首ガード)をつけて、
弓を振り立てて、地面を股まで、めりこむように踏みならして、
土を淡雪のように蹴ちらして、勇ましい雄たけびをあげて待ち構えました。

アマテラス大御神は
「どうして、天に昇って来たのだ。」と尋ねました。
スサノオの命は
「わたしめは悪い考えは持っていません。ただ、イザナギの大御神が
私に泣きわめいている訳をお尋ねになりました。
そこで、『わたしめは亡き母の国に行きたいと思って泣いているのです。』
と答えました。

すると、大御神は『そなたはこの国に住んではならない。』
と言われて、私を追放されました。
だから、事情をお話しておこうと思って参上しました。他意はありません。」
と申し上げました。すると、アマテラス大御神は
「それなら、そなたの心が清く正しいのがどうして分かる。」と言いました。
そこでスサノオの命は答えて、
「それぞれウケイ(うらない)をして子を生みましょう。」と言いました。

宗像三女神の誕生
そこで、天の安の河(天の川)を中に置いて、ウケイをする時に、
アマテラス大御神が先に、スサノオの命の佩(は)いた
十拳剣(とつかのつるぎ)を貰い受けて、三段に折ってユラユラと揺らして、
天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
息吹きの霧に生まれた神の名は、タキリビメの命
またの名は奥津島(おきつしま)ヒメの命と言います。
次に、イチキシマヒメの命。またの名はサヨリビメの命と言います。
次にタギツヒメの命。三柱です。

天の忍穂耳の命らの誕生
続けて、スサノオの命はアマテラス大御神の左のみずらに巻いている
八尺(やさか)の勾玉のたくさん連なった珠をもらって、ユラユラと揺らして、
天の真名井の水で振りすすいで、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
息吹きの霧に生まれた神の名は、マサカツアカツカチハヤヒ天の忍穂耳の命

また、右のみずらに巻いている珠をもらって、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
息吹きの霧に生まれた神の名は天のホヒノ命
また、髪飾りに巻き付けていた珠をもらって、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
息吹きの霧で生まれた神の名は天津ヒコネの命

また、左の手に巻いていた珠を貰って、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
伊吹の霧に生まれた神の名はイクツヒコネの神
また右手に巻いていた珠をもらって、噛みに噛んで、フッと吹き捨てた時、
息吹きの霧に生まれた神の名は、熊野クスビの命。合せて五柱でした。

そこで、アマテラス大御神がスサノオの命に言いました。
「後の方で生まれた五柱の男子は、私の物から生まれたので、私の子だ。
先に生まれた三柱の女子は、そなたの物から生まれたので、そなたの子だ。」と。

こうして、最初に生まれた神、タキリビメの命は宗像の奥津宮にまします。
次にイチキシマヒメの命は宗像の中津宮にまします。
次にタキツヒメの命は宗像の辺津宮にまします。
この三柱の神は宗像の君らが斎きまつる三柱の大神です。

こうして、スサノオの命がアマテラス大御神に言いました。
「私の心は清く、正しかった。だから、私の生んだ子は手弱女(たおやめ)でした。
ウケイの結果から言うと、私の勝ちですね。」と言いました。

天の岩屋戸隠れ
それからは、スサノオの命は勝者としての振る舞いの度が過ぎて、
アマテラス大御神の耕作している田のあぜを壊し、
その溝を埋めて、またその大嘗(おおにえ…最初に収穫した米)を召し上がる御殿に
糞をし散らかしました。

スサノオの命がそんなことをしても、アマテラス大御神はとがめずに、
「糞をしたのは酔って吐き散らしたんでしょう。
私の大事な弟がしたんだから(大目に見ましょう)。
又田んぼのあぜを壊して、溝を埋めたのは、土地が惜しいから広くしたいと
思ったんでしょう。私の大事な弟がしたんだから(考えあっての事でしょう)。」
と、悪い事も良い方に解釈してかばいましたが、
その悪い行為はやまずに、ますますひどくなりました。

アマテラス大御神が、忌み清めた機織りの御殿に行って、神の御衣を織らせている時に、
その御殿の棟に穴を開けて、天の斑馬(ふちこま)を尾の方から逆に皮を剥いで
落とし入れたので、天の機織女(はたおりめ)が驚いて、
オサ(機織りの道具)で陰部を突いて死んでしまいました。

アマテラス大御神はそれを見て畏れて、天の岩屋戸を開いて、
中に籠ってしまいました。
すると、高天の原はみな暗くなり、葦原の中国(あしはらのなかつくに)も、
ことごとく暗くなりました。このために世の中は夜ばかりになりました。
すると、多くの神々の声はハエの飛ぶ音のように満ち満ちてて、
多くの災いが起こりました。

そこで、八百万(やおよろず)の神は天の安の河原に集まって、
タカミムスヒの神の子、オモイカネの神に考えさせました。

その結果、常世の国の長鳴き鳥を集めて鳴かせ、
天の安の河の川上の天の堅い石(鉄を鍛える為の金敷き)を取って来て、
天の金山の鉄を取って、鉄を鍛える工人の天津マラを求めて、
イシコリドメの命に命じて鏡を作らせ、タマノヤの命に命じて、
八尺の勾玉の沢山の連珠を作らせ、
天のコヤネの命フトダマの命を召して、
天の香具山の男鹿の肩の骨を丸抜きに抜いて、
天の香具山の天のハハカの木を採って、占いをさせて神意を伺わせました。

天の香具山の枝葉の茂ったサカキを根が付いたまま掘り取って、
上の枝に八尺の勾玉の沢山の連珠の付いたのを取り付け、
中の枝には八尺鏡(やたかがみ)を取り掛けて、
下の枝には木の皮で作った白い木綿(ゆう)と青い麻布を下げました。

これらの物をフトダマの命が布刀御幣(ふとみてぐら…神への贈り物)として捧げ、
アメノコヤネの命が神への祝詞を申し上げて、
アメノタヂカラオの命が岩戸の脇に隠れ立ちました。

アメノウズメの命は天の香具山の天の日影(ひかげ)をタスキにかけて、
天のツルマサキをかずらとして、天の香具山の笹の葉を手に持てるように束ねて、
天の岩屋戸の前に、桶(おけ)を伏せて乗り、踏み轟かして神懸かりしました。
胸の乳房があらわに出て、裳のひもが解け、陰部まで押し下がって垂れました。
それを見て、高天原中に鳴り響くほど、八百万の神々がみんな大笑いしました。

そこで、天照大御神は「変だ」と思って、天の岩屋戸を細めに開いて、
内側から言われました。
「私が籠っているので、天の原は自然と暗く、
また、葦原の中つ国もみんな暗いだろうと思ったのに、
どうして、アメノウズメは踊って、
また、八百万の神もみんなで笑っているのか。」
と。そこで、アメノウズメが申し上げました。
「あなた様に増して、貴い神がいらっしゃいました。
それで、みんなで喜んで笑っているのです。」と。

そう申し上げる間に、アメノコヤの命と、フトダマの命はその鏡を差し出して、
天照大御神にお見せするので、天照大御神はますます変だと思って、
ちょっと戸から出て、ご覧になる時に、
隠れて立っていたアメノタヂカラオの命がその御手を取って引っ張り出しました。

すぐさま、フトダマの命が注連縄(しめなわ)を後ろに引き渡して、申し上げました。
「これより、内側にはもうお戻りなさいますな。」
そうして、天照大御神が出て来られた時に、高天の原も葦原の中つ国も、
自然と明るくなりました。

スサノオの命の追放
その後、八百万の神々は協議して、スサノオの命に
千位(ちくら)の置き戸(多くのものを置く台)を背負わせ、髯を切り、
手足の爪も抜かせて、追放しました。

スサノオの命は食べ物をオオゲツヒメの神に乞いました。
すると、オオゲツヒメは鼻や口や尻からいろんな食べ物を取り出して、
いろいろと料理を作りそろえて献上しましたが、スサノオの命はその様子を覗き見して、
汚らわしいものを献上すると思って、即座にオオゲツヒメを殺しました。

こうして、殺された神の体からは、頭から蚕が生じ、両目からは稲の種が生じ、
両耳からは粟が生じ、鼻からは小豆が、
陰部からは麦が、尻からは大豆が生じました。
これを見て、神ムスビノミオヤの命はこれを取らせて種としました。

草薙の剣の由来
スサノオの命はこうして追放されて、出雲の国の肥の河上、
名は鳥髪(とりかみ)という所に降りました。
この時、箸がその川上から流れて来ました。
そこでスサノオの命は人がその川上に住んでいると思って、尋ね求めて遡って行くと、
老夫と老女が二人いて、乙女を中に置いて泣いていました。

スサノオの命は「お前たちは誰だ。」と尋ねました。老父が答えました。
「私めは国つ神、大山津見の神の子です。私めの名前は足名椎(あしなづち)と言い、
妻の名は手名椎(てなづち)と言い、娘の名前はクシナダ姫と言います。

また、「お前はなぜ泣いているのだ。」と尋ねると、
「私の娘は、もともと八人いたのですが、この高志(こし)のヤマタのオロチ
毎年来て食べてしまいました。
今また、やって来る時が来たのです。だから泣いています。」
と答えて申しました。

「その姿かたちはどんな風なのか。」と尋ねると、
「その目は赤いほおづきのようで、身体は一つで、頭が八つ、尻尾も八つ付いています。
また、その体にコケとヒノキと杉の木が生えて、その長さは谷が八つ、丘が八つ分あって、
その腹を見ると、いつも血がただれています。」
と申し上げました。そこで、スサノオの命はその老父に言いました。

「この、お前の娘を私にくれまいか。」
「畏れ多くも、お名前を存じません。」と答えました。そこで応えて言いました。
「私は天照大御神の弟だ。こうして、今、天から降りて来た所だ。」
と言いました。それを聞いてアシナヅチとテナヅチは、
「そうでしたら、畏れ多い事です。娘を差し上げましょう。」と申し上げました。

そこで、スサノオの命はその乙女を湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に変えて、
ミヅラに刺して、アシナヅチ・テナヅチに言いました。
「そなたたちは、八回繰り返して醸造した酒を作り、又垣根をぐるりと作り、
その垣根に八つの門を作り、門毎に八つの桟敷(さじき)を作り、
その桟敷毎に酒を入れる器を置いて、
器ごとに酒をなみなみと入れて待ちなさい。」と。

そこで、言われたとおりに準備をして待った時、例のヤマタのオロチが、
言われた通りにやって来ました。ヤマタのオロチは酒を見つけると、
器ごとに頭を垂れてつっこんで、その酒を飲みました。
そして、酔っぱらうと、居座って寝込んでしまいました。

それを見計らって、スサノオの命は帯びていた十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて、
そのオロチをずたずたに切ったので、肥の河は血に染まって流れました。
ところが、そのオロチの尾を切った時に剣の刃が欠けてしまいました。
「怪しい。」と思って、剣の先で裂いてみると、都牟刈(つむがり)の太刀がありました。
その太刀を取り出して、「不思議なものだ」と思って、
アマテラス大御神にその話をして献上しました。
これが草薙の太刀です。
                                (つづく)


伝承の地のレポートです。(『ひもろぎ逍遥』)

イザナギの命が身体を洗った伝承の地  志賀海神社(2)沖津宮と小戸 
 海の神々が生まれた美しき聖地 イザナミの命が禊をした所だったよ

http://lunabura.exblog.jp/13586252/

宗像三女神の降臨した六嶽の下宮 六嶽神社(1)~(2)
http://lunabura.exblog.jp/i35/

◆スサノオの命が高天原から出雲の国に行く途中の伝承のある地
原初の神気を今なお残す宮 
宗像三女神が生れた十握剣と父のスサノオが始まりだった 古物神社

http://lunabura.exblog.jp/i29






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                                   【古事記】   

天照大御神(2)

アマテラスと高木神は葦原の中つ国を手に入れる。

               (高御産巣霊神=高木神)

豊葦原の水穂の国は我が子の治める国である。

天照大御神は、
「豊葦原(とよあしはら)の千秋(ちあき)の長五百秋(ながいおあき)の
水穂(みずほ)の国は私の御子の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
(まさかつあかつかつはやひあめのおしほみみ)が治める国である。」
命じて言われ、天忍穂耳命が天降り(あまくだり)しました。

天忍穂耳命の天降りの中断
天忍穂耳命は天の浮橋に立ったのですが、
「豊葦原の千秋の長五百秋の水穂の国はひどく騒いでいるなあ。」
と言って、戻って来て天照大神にその事を申し上げました。

そこで、高御産巣日神と天照大神は命じて、
天の安河の河原に八百万の神を集めて、
思金(おもいかね)の神に考えさせて、言いました。

「この葦原の中つ国は私の御子が治める国で、私が委ねて与えた国である。
しかし、この国にはすばしこい荒ぶる国つ神どもが大勢いると思われる。
そこで、どの神かを遣わして、帰順させてほしい。」と。

天のホヒの神の派遣
思金神や八百万の神が協議して言いました。
天の菩比(あめのほひ)の神を遣わすのがよろしいでしょう。」と。
そこで天の菩比の神を遣わすと、そのまま大国主の神に媚(こ)びて従って、
三年たっても戻って来ませんでした。

天の若日子の派遣
そこで高御産巣日神と天照大御神は多くの神々に尋ねました。
「葦原の中つ国に遣わした天の菩比の神はずっと帰って来ない。
今度はどの神を遣わせばよいだろうか。」
そこで思金神が
天津国玉の神の子、天の若日子(わかひこ)を遣わすのがよいでしょう。」
と申し上げました。
これによって、天のマカコ弓、天のハハ矢を天の若日子に授けて遣わしました。

天の若日子はその国に天降りすると、すぐに大国主の神の娘の
下照比賣(したてるひめ)を娶(めと)り、
またその国を自分の国にしようと思うようになって、
八年たっても戻って来ませんでした。

鳴女の派遣
そこで天照大御神と高御産巣日神が他の神々に尋ねました。
「天の若日子はずいぶん経つのに戻って来ない。
また、誰か他の神を遣わして、天の若日子が久しく留まる訳をたずねよう。」
そこで、諸神と思金神が
「雉(きじ)で、名前が鳴女(なきめ)という者を遣わしましょう。」
とお答え申し上げたので、鳴女に言われました。

「おまえが行って、天の若日子にこう尋ねよ。
『そなたを葦原の中つ国に使わしたのは、
その国の荒ぶる神どもを説得して帰順させよと言う事だった。
どうして、八年も経つのにまだ帰って来ないのか。』と。」

そこで鳴女は天降りして、天の若日子の家の門にある湯津楓
(ゆつかつら)の木に止まり、天つ神の言われた通りに言いました。

すると、天の佐具賣(さぐめ)がこの鳥の言う事を聞いて、
天の若日子に言いました。
「この鳥は鳴き声がとても不吉です。射殺すべし。」
と進言すると、すぐに天の若日子は天つ神が授けた天のハジ弓、
天のカク矢を持って来て、その雉を射殺しました。

すると、その矢は雉の胸を射通し、突き抜けて、
さかさまに高天原に射上げられて、天の安河の河原にいる天照大御神と
高木神の元に戻って来ました。この高木神は高御産巣日神の別の名です。

高木神がその矢を取って見ると、血がその矢の羽についていました。
そこで、高木神は
「この矢は天の若日子に授けた矢だ。」
と言って、諸神に見せて言われました。
「もし、天の若日子が我々の命令に忠実で、悪い神を射た矢が
戻って来たのなら、天の若日子には当たるな。
もし、反逆の心が有るなら、天の若日子に当たって禍(わざわい)せよ。」
と言って、その矢を取って、その矢が開けた中つ国との境の穴から、
突き返すと、天の若日子が朝、寝床に寝ている時、
その胸に当たって死んでしましました。(これが還り矢の語源です。)

またその雉も戻って来ませんでした。
コトワザに「雉の頓使(ひたつかい)」(雉の行ったきり)という謂われは
ここから来ています。

タケミカヅチの神の派遣
―略―
(天の若日子の派遣が失敗したので、高天原では再び諸神の相談があって、
建御雷の神を派遣させる事が決定しました。)

天照大御神は建御雷(たけみかづち)の神に
天の鳥船の神を付けて遣わしました。
この二柱の神は出雲の国の伊那佐の小浜に天降りして、
十掬剣(とつかつるぎ)を抜いて、さかさまに波頭に刺し立て、
その剣の前に胡坐を組んで座り、大国主の神に尋ねて言いました。

「天照大御神、高木の神の命令で、尋ねるために私を遣わされた。
『そなたが治める葦原の中つ国は我が御子が治める国ぞ。』との仰せである。
そこで、なんじの心はいかがであるか。」
大国主の神は
「私めは申し上げますまい。
我が子の八重事代主(やえことしろぬし)の神が答えるでしょう。
しかし、我が子は鳥の遊びをして、魚を取っているので、
御大(みほ)の前(さき)に行って、まだ帰って来ません。」と答えました。

そこで建御雷の神は、天の鳥船の神を遣わして、
八重事代主の神を引き立てて来て、お尋ねになった所、
八重事代主の神は、父神に語って言いました。
「畏れ多い。この国は天つ神の御子に献上しましょう。」
と言って、そのまま船を踏みつけて傾かせて、
青い芝で作った神域を示す垣根を作り、天の逆手(呪術的な拍手?)を打って、
身を隠されました。 
―略―
(この後、建御雷の神はもう一人の御子とも対決して勝利し、
ついに出雲の降伏が決定して、建御雷の神が高天原に戻って来ます。)

天降りをニニギノ命に変更する
そこで、天照大御神と高木の神の命令で、
太子(ひつぎのみこ)の天の忍穂耳命に言われました。
「今、葦原の中つ国を平定したとの報告があった。
だから、以前にその国を与えた通りにして、天降りして、治めなさいませ。」と。

そこで太子の天忍穂耳命が答えて申し上げました。
「私めが天降りしようと支度をする間に、子供が生まれました。
名前は天ニキシ国ニキシ天津日高日子番(あまつひこひこほ)のニニギノ命です。
この子を降臨させましょう。」

この御子は高木の神の娘の萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきづしひめ)と
結婚して生まれた子供で、長男が天の火明命(あめのほあかり)。
次男が日子ホノニニギの命です。

こういう事で、天の忍穂耳の言葉が受け入れられました。
忍穂耳の命はニニギノ命に勅命を伝えて、
「この豊葦原の水穂の国はそなたが治める国であると言ってお与えになった。
だから、命ぜられた通りに天降りしなさい。」と言われました。
             
見知らぬ神との交渉役をアメノウズメに決定する
そこで日子穂のニニギノ命が天降りをしようとする時に、
天の八街(やちまた)で、上は高天の原を照らし、
下は葦原の中つ国を照らす神が立っていました。

それを見て、天照大御神と高木の神はアメノウズメの神に命じて言われました。
「そなたは力の弱い女であるが、敵対する神に会っても、
面と向かって気後れしない神である。だから、そなた一人で行って尋ねなさい。
『我が御子の天降りする道の真ん中に立ち塞がっているのはどなたか。』と。」

そこで、アメノウズメの神が行って尋ねました。
すると、その神が答えて言いました。
「私は国つ神、名は猿田彦の神です。こうして出て来たのは、天つ神の御子が
天降りなさると聞いたので、道案内をしようとして、参上しました。」
こうしてニニギノ命は、五人の職人の長たちを連れて天降りなさいました。

                (つづく)






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                                   【古事記】   
天照大御神(3)

アマテラスと高木の神はイワレビコを助ける

                          イワレビコ=神武天皇

イワレビコに剣と八咫烏を授ける
神倭(かむやまと)イワレビコの命が熊野の村に着いた時に、
大きなクマがほのかに出て来て、そのまま消えてしまいました。
すると、神倭イワレビコの命は急に疲れてしまい、
また率いていた軍勢も皆疲れて倒れてしまいました。

この時、熊野の高倉下(たかくらじ)が、一振りの太刀を持って、
天つ神の御子が倒れている所にやって来て、献上しました。
すると、神倭イワレビコの命はすぐに目が覚めて、起き上がり、
「長く寝たなあ。」と言われました。
そして、その太刀を受け取ると、その熊野の山の荒ぶる神は
ひとりでに皆切り倒されました。
すると惑わされて倒れていた軍勢もみな目が覚めて起きました。

そこで、神倭イワレビコの命が高倉下にその太刀を手に入れた事情を尋ねると、
こう答えました。
「こんな夢を見たのです。天照大御神高木の神の二柱の神が
建御雷の神を召して、言われました。
葦原の中つ国はひどく騒いでいるようだ。我が御子たちが病んでいるらしい。
その葦原の中つ国は、そもそもそなたが平定した国である。
だから、そなた建御雷の神が天降りしなさい。』と。

そこでお答えになったのが、
『私めが直接降りなくても、その国を平定した太刀が有るので、
その太刀を下ろすのがよろしいでしょう。』と。
(この太刀の名は佐士布都(さじふつの)神と言い、
またの名は甕布都主(みかふつぬし)と言い、
またの名は布都御魂(ふつみたま)と言う。この刀は石上神宮にある。)

そして、夢の中で私にお告げになったのです。
『この刀を降ろす方法だが、お前、高倉下の倉の屋根に穴を開けて、
そこから落とし入れる。だから、縁起をかついで、朝目を覚ました時に、
一番最初に目に入るようにして、天つ神の御子に奉りなさい。』と。

朝、目が覚めて、夢で教えられた通りに倉を見ると、本当に太刀がありました。
だから、その太刀を持って献上しに参りました。」
と高倉下は申し上げました。さらに付け加えて言いました。

「その時、また、高木の神が諭して命ぜられた事には、
『天つ神の御子をこれより奥の方には、入らせないようにしなさい。
荒ぶる神がとても多い。今、天からヤタガラスを遣わす。
そのヤタガラスが道案内をするであろう。
それが飛び立った後から、行軍されるように。』との事です。」

それを聞いて、神倭イワレビコの命は教えの通りに、
ヤタガラスの後から行軍しました。

                      (つづく)
◆ヤタガラスが高句麗の古墳の壁画に描かれています。
その謎に取り組みました。『ひもろぎ逍遥』
高句麗壁画(1) 八咫烏―高句麗と日本の賀茂氏の謎
http://lunabura.exblog.jp/i42/

このページは天照大御神を中心に拾い出しているので、
次回は神功皇后の所に飛びます。
このイワレビコの東征の続きは「神武天皇」を見てください。





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                                   【古事記】   

天照大御神(4)

アマテラスと住吉三神は仲哀天皇に死を告げる 

                       オキナガタラシ姫=神功皇后(じんぐうこうごう)

仲哀天皇の崩御と神託
仲哀天皇筑紫の香椎(かしい)に宮を作られて、
熊襲の国を討とうとされた時に、ご神託を聞くことになりました。
天皇が琴を弾いて、オキナガタラシ姫が神懸かりをします。
建内(たけうち)の宿禰(すくね)の大臣がサニワをしました。
サニワとは降りた神が、どなたか、本物か偽物かなどを明らかにする人です。

オキナガタラシ姫が神を招き寄せて、託宣をしました。
「西の方に国がある。金銀を始めとして、目にも輝くいろいろな珍
しい宝が沢山その国にある。私が今その国を帰服させて与えよう。」と。
そこで天皇が答えて申し上げました。
「高い所に登って西の方を見るけれども、国は見えません。
ただ、大海があるだけです。」と言って、「偽りをいう神だ。」
と言いながら琴を押し退けて、それ以上お弾きにならず、
黙って座ったままになりました。

すると、その神は大変お怒りになって、
「そもそもこの天の下はそなたの治める国ではない。
そなたは人間が行かねばならぬ、一本道に向かうがよい。」
と言われました。一本道とは死への道です。

そこで、建内の宿禰の大臣が言いました。
「畏れ多いことです。我が天皇、やはりその琴をお弾き遊ばせ。」と。
そこで、そろそろと琴を取り寄せると、
生半可(なまはんか)にお弾きになりました
すると、どれほどの時間も経たないで、琴の音が聞こえなくなりました。
火をともして見ると、すでに崩御されていました。
そこで驚き懼(おそ)れて、殯宮(もがりのみや)に亡骸を安置しました。

神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、
国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。
罪、穢れとは、生きながら獣の皮を剥ぐ罪、尾の方から剥ぐ罪、
田の畔(あぜ)を壊す罪、水路を埋める罪、他(略)です。
この大祓を済ませると、再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、
ご神託を求めました。

二度目の神託
今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に宿る御子が治める国である。」
と諭されました。そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。我が大神さま、今お懸かかりになっている
お方のお腹に宿る御子は男御子か女御子か、どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。さらに詳しく尋ねました。

「今、このように教えられる大神のお名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。
「これは天照大神の御心ぞ。
また、底筒男(そこつつお)、中筒男、上筒男の三柱の住吉大神ぞ。
今まことにその国を求めようと思うならば、天の神や国の神、
また、山の神、川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、
住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、
マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、
また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、
それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。

そこで、詳しく教えられた通りにして、軍勢を整えて、
船を並べて、西の方の国に渡られると、海原の魚、大小を問わず、
ことごとく御船を乗せて進みました。
その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。
その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、
完全に国土の半分まで達しました。

そこで、新羅の国王は恐れをなして、奏上しました。
「これからは天皇の命令に従って、御馬を飼育する者となって
毎年、貢物(みつぎもの)を載せた船を何艘も出して、
船の底が乾く間もないようにします。
棹(さお)や舵(かじ)が乾く間もないように、
天地の運行がとどまることのないのと同じように、
お仕えしましょう。」と申し上げました。


(以上、天照大御神は古事記では4か所に出て来ました。)

 伝承の地を訪ねたレポートです。   『ひもろぎ逍遥』

香椎宮(1)古宮を訪ねて
http://lunabura.exblog.jp/i2/


香椎宮(3)天皇の崩御をどうやって隠す?
http://lunabura.exblog.jp/13196975/


小山田斎宮(1)(2)オキナガタラシ姫の神懸かりの地を捜して
http://lunabura.exblog.jp/12788885/


住吉神社
http://lunabura.exblog.jp/15387796/







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                                   【古事記】   

住吉三神(住之江の神)
底筒男神・中筒男神・上筒男神
 
三神の誕生

 イザナギの命は橘の小戸の阿波岐が原でミソギながら、多くの神々を生んだあと、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い。」と言って、初めて中の瀬に潜ってすすぎました。その時に生まれた神の名は、
  八十禍津日(やそまがつひ)の神。
  次に大禍津日(おおまがつひ)の神。
この二神は、そのけがらわしい国に行った時の穢れによって生まれた神です。つぎにその禍(まが)を直そうとして、生まれた神の名は
  神直毘(かむなおび)の神。
  大直毘(おおなおび)の神。
  次にイヅノメの神。
次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、
  底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
  次に底筒の男(そこつつのお)の命
中にすすぐ時に生まれた神の名は、
  中津綿津見の神。
  次に中筒の男の命
次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、
  上(うは)津綿津見の神。
  次に上筒の男(うはつつのお)の命
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)らが祖神(おやがみ)として、お仕えする神です。また、阿曇の連たちは、その綿津見神の子のウツシ日金作拆(ひがなさく)の命の子孫です。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命の三柱の神は、墨の江の三前(みまえ)の大神です。

                           ☆ ☆ ☆

天皇の崩御と神託

オキナガタラシ姫の命仲哀天皇の大后(おおきさき)で、神功皇后の事です。

仲哀天皇が筑紫の香椎(かしい)に宮を作られて、熊襲の国を討とうとされた時に、ご神託を聞くことになりました。天皇が琴を弾いて、オキナガタラシ姫が神懸かりをします。建内(たけうち)の宿禰(すくね)の大臣がサニワをしました。サニワとは降りた神が、どなたか、本物か偽物かなどを明らかにする人です。
オキナガタラシ姫が神を招き寄せて、託宣をしました。
「西の方に国がある。金銀を始めとして、目にも輝くいろいろな珍しい宝が沢山その国にある。私が今その国を帰服させて与えよう。」と。
そこで天皇が答えて申し上げました。
「高い所に登って西の方を見るけれども、国は見えません。ただ、大海があるだけです。」と言って、
「偽りをいう神だ。」
と言いながら琴を押し退けて、それ以上お弾きにならず、黙って座ったままになりました。

すると、その神は大変お怒りになって、
「そもそもこの天の下はそなたの治める国ではない。そなたは人間が行かねばならぬ、一本道に向かうがよい。」
と言われました。一本道とは死への道です。そこで、建内の宿禰の大臣が言いました。
「畏れ多いことです。我が天皇、やはりその琴をお弾き遊ばせ。」と。
そこで、そろそろと琴を取り寄せると、生半可(なまはんか)にお弾きになりました。すると、どれほどの時間も経たないで、琴の音が聞こえなくなりました。火をともして見ると、すでに崩御されていました。そこで驚き懼(おそ)れて、殯宮(もがりのみや)に亡骸を安置しました。

神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。罪、穢れとは、生きながら獣の皮を剥ぐ罪、尾の方から剥ぐ罪、田の畔(あぜ)を壊す罪、水路を埋める罪、他(略)です。

この大祓を済ませると、再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、ご神託を求めました。
今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に宿る御子が治める国である。」
と諭されました。そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。我が大神さま、今お懸かかりになっているお方のお腹に宿る御子は男御子か女御子か、どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。さらに詳しく尋ねました。
「今、このように教えられる大神のお名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。
「これは天照大神の御心ぞ。また、底筒男(そこつつお)、中筒男、上筒男の三柱の住吉大神ぞ。今まことにその国を求めようと思うならば、天の神や国の神、また、山の神、川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。

 そこで、詳しく教えられた通りにして、軍勢を整えて、船を並べて、西の方の国に渡られると、海原の魚、大小を問わず、ことごとく御船を乗せて進みました。その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、完全に国土の半分まで達しました。

そこで、新羅の国王は恐れをなして、奏上しました。
「これからは天皇の命令に従って、御馬を飼育する者となって毎年、貢物(みつぎもの)を載せた船を何艘も出して、船の底が乾く間もないようにします。棹(さお)や舵(かじ)が乾く間もないように、天地の運行がとどまることのないのと同じように、お仕えしましょう。」と申し上げました。

そう言う事で、新羅の国は御馬を飼育する部曲と定めて、百済の国は海外の直轄地と定めました。そして、御杖を占有権を表す印として、新羅王の門に突き立てて、住の江(すみのえ)の大神の荒御魂(あらみたま)を守護する神として祭り鎮めて、日本に戻られました。


◆日本書紀には荒魂を山口県下関市に祭る話が出ています。
【日本書紀】
遠征軍に従った神、表筒男・中筒男・底筒男の三柱の神は皇后に教えて言いました。
「我が荒御魂を穴門の山田の邑に祭らせよ。」
その時、穴門の直(あたい)の祖・ホムタチ・津守の連(むらじ)の祖・タモミの宿禰が皇后に言いました。
「神が居たいと思われる所を必ず定めて奉斎するのがよろしいかと。」
そこでホムタチを荒魂を奉斎する神主としました。よって、祠(やしろ)を穴門の山田邑に立てました。
(穴門の山田の邑は下記の下関の住吉神社です)


住吉三神を祭る主な神社 (マイペディアより)
福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)三神の和魂をまつる。 例祭10月13日
下関市一宮 (長門国一の宮)   三神の荒魂をまつる。  例祭12月15日
大阪市住吉区住吉(摂津一の宮) 三神と神功皇后をまつる。例祭6月30日
壱岐市                  三神の和魂をまつる。  例祭11月9日






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                                    【日本書紀】

保食神
 (うけもちのかみ)
神の身体から牛馬と五穀と蚕が生まれた
 
天照大神が天上にあって、言いました。
葦原の中つ国保食(うけもち)の神がいると聞いています。
そなた、月夜見尊(つくよみのみこと)、行って見て来なさい。」と。
月夜見尊は命令を受けて降りました。そして保食神の所に行きました。

保食神は首を回して国土を見ると、口から飯を出しました。
又、海を見ると、魚のひれの大きいもの、小さいものを口から出しました。
又、山を見ると、毛の荒い動物、柔らかい動物を口から出しました。
その各種の物を全部揃えて、沢山の机に並べて饗応しました。

この時、月夜見尊は顔色を変えて怒って言いました。
「けがわらしい。いやしい。どうして、口から吐き出したものを、
あえて私に食べさせようとするのか。」
と言って、即座に剣を抜いて、殺してしまいました。
それから天上に戻って、詳しくその状況を話しました。

すると、天照大神は大変怒って、
「お前は何と悪い神だ。もう会わない。」と言いました。
そこで月夜見尊と、一日一夜隔てて離れて住むようになりました。

この後、天照大神はまた天の熊人(くまひと)を遣わして、
どうなっているか見に行かせました。この時には保食神はすでに死んでいました。
すると、その神の頭頂からは牛と馬が生れていました。
額からは粟(あわ)がなっていました。眉の上には蚕(かいこ)が生まれていました。
眼の中には稗(ひえ)が生まれていました。腹の中には稲が生まれていました。
陰部からは麦と大豆や小豆が生まれていました。

天の熊人はこれを全部持ち帰って、献上しました。
天照大神は喜んで、
「これはこの世の青人草(人間―青い目の人とも言う)が食べて生きるものです。」
と言って、粟(あわ)稗(ひえ)麦豆を畑の種子としました。
また稲は水田の種子としました。
また天の邑君(むらきみー農民の長)を定めました。
そこで、その稲種を初めて天の狭田(さなだ)や長田に植えました。
その秋に実った穂は大変長く垂れて、豊作でした。
また口の中に蚕を含んで絹糸を引き出すことが出来るようになりました。
これから初めて養蚕が始まりました。


良く似た話が古事記にも出て来ます。
オオゲツヒメとスサノオの命の話に変わっています。
詳細は
 『ひもろぎ逍遥』大嶽神社(5)
「ウケモチの神から五穀と蚕が生まれたーハイヌウェレ神話と日本の神話」
http://lunabura.exblog.jp/15336975/ 
 

で考察しています。






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武内宿禰(6) 
日本書紀版
香坂王と忍熊王  

かごさか王とおしくま王


新羅を討った翌年の春2月に、神功皇后は群臣・百寮を率いて、穴門の豊浦の宮に遷りました。そこで仲哀天皇の亡骸を収めて、海路で京に出ました。

その時、香坂王忍熊王
「天皇が崩御された。また皇后が西を討って、あわせて皇子が新たに誕生された。」
と聞いて、密かに話し合って、
「今、皇后には御子がいる。群臣はみな従っている。必ず共に謀って、若き御子を天皇に立てるだろう。吾らは兄なのにどうして弟に従えるか。」と言いました。

そこで偽って、天皇の為に御陵を作るふりをして、播磨に行って、御稜を明石に興しました。こうして、船団を編んで、淡路島に渡して、その島の石を運んで造りました。

その時、人毎に武器を持たせて皇后を待ちました。犬上の君の祖、倉見別(くらみわけ)と吉師の祖のイサチの宿禰は共に香坂王に付きました。そこで将軍として東国の兵を興させました。

時に、香坂王と忍熊王は一緒にトガノに出て、うけひ狩り(占いの狩)をして言いました。
「もし、事が成就するならば、必ず良い獲物が手に入る」
と言いました。二人の王はおのおの仮の桟敷にいました。赤いイノシシが急に出て来て、桟敷に登って、香坂王を食い殺しました。軍勢はみな恐れました。

忍熊王は倉見別に言いました。
「この事は重要な験だ。ここで敵を待ってはならない。」と。
そこで軍勢を引いてさらに帰って、住吉に駐屯しました。

この時、神功皇后は忍熊王が軍勢を起こして、待っていると聞いて、武内宿禰に命じて、皇子を抱かせて、迂回して南海から出て、紀伊水門に停泊させました。皇后の船はまっすぐ難波を目指しました。

その時、皇后の船が海中でぐるぐる廻って、進めなくなりました。そこで務古水門に戻って占いをしました。すると、天照大神が教えました。
「我が荒魂を皇后に近づけてはならない。広田の国に祀りなさい。」と。
そこで山背の根子の娘、葉山姫に祀らせました。
またワカヒルメの尊が教えて言いました。
「吾は活田の長峡(いくたのながお)の国にいよう。」と。
そこで海上(うながみ)のイサチに祀らせました。

また事代主の尊が教えて言いました。
「私を長田の国に祀りなさい。」と。
そこで葉山姫の妹の長姫に祀らせました。
また、表筒男・中筒男・底筒男の三柱の神が教えて、
「吾が和魂(にぎみたま)を大津のヌナクラの長峡(ながお)に祀りなさい。
そこで往来する船を見守ろう。」と言いました。
こうして神の教えのままに鎮めて、無事に海を渡る事が出来ました。

忍熊王はまた軍勢を退却させて、ウヂに行って、軍勢を立て直しました。
皇后は南の紀伊の国に行って、皇子に日高で会いました。群臣と協議して、ついに忍熊王を攻撃するために、さらに小竹宮(しののみや)に遷りました。
                                      (略)


3月の丙申(ひのえさる)の朔庚子(かのえねー5日)に、武内宿禰と和邇(わに)の臣の祖・武振熊(たけふるくま)に命じて、数万の軍勢を率いて、忍熊王を討たせました。

そこで武内宿禰らは精兵を選んで、山背から出ました。ウヂについて、川の北に駐屯しました。忍熊王は陣営を出て戦おうとしました。その時熊の凝(こり)という者が忍熊王の軍勢の先鋒となりました。その時、自分の軍勢を奮い立たせようと思って、声高に歌を詠みました。

  かなたの あれ、あの松原 
  あの松原に 進んで行って、
  槻弓(つくゆみ)に 音の出る鏑矢(かぶらや)をつがえて、
  貴人は貴人どうし、 親友は親友どうし、さあ闘おう。
  我は 闘おう。 霊力が極まっているという 武内の朝臣と。
  腹の中は 小石だらけのやつさ。さあ、闘うぞ、我は。

その時、武内宿禰は大軍に命じて、全員に髪を椎(つち)のように結わせました。そして号令をかけて、
「おのおの、控えの弦を髪の中に収めて、また木刀を腰につけよ。」
と言いました。

そうして、皇后の仰せだ言って、忍熊王をだまして言いました。
「吾は天下を取ろうとは思っていません。ただ、幼い皇子を抱いて、君王(忍熊王)に従うだけです。どうして、戦おうなどと思うでしょうか。
願わくは、共に弦を絶って、武器を捨てて、ともに連合して和睦しようではないですか。
そうして、君王は皇位を継承して、その席に安心して座り、枕を高くして安んじて、よろずのまつりごとを専制なさるがよい。」と。

そう言うと、はっきりと分かるように、軍勢に命じて、全員に弓の弦を断ち切らせて、太刀をはずして、川に投げ入れさせました。
忍熊王はその偽りを信じて、自分の軍勢に命じて、武器をはずして川に投げ入れて、弓の弦を切らせました。

そうすると、武内宿禰は大軍に号令をかけて、髪に隠した弦を出して、再び弓に張って、真剣を付けさせました。そうして、川を渡って進軍しました。

忍熊王は騙された事が分かって、倉見別(くらみわけ)・イサチの宿禰に言いました。
「謀られた。もう、代わりの武器はない。どうして戦えようか。」
といって、軍を連れて少し退却しました。

武内宿禰は精兵を出して、追いかけました。ついに逢阪で対戦して、討ち破りました。それで、その地を名づけて逢坂と言います。
忍熊王の軍勢は逃げました。武内宿禰はささなみの栗林で追いついて、大勢を斬りました。
そこに血が流れて、栗林にあふれました。それで、縁起が悪いと言って、今に至るまで、この栗林の木の実は御所に献上しません。

忍熊王は逃げて隠れる所が無くなりました。そこでイサチの宿禰を呼んで、歌を詠みました。
  さあ、我が君、イサチの宿禰よ。
  霊力が極まった 内の朝臣の 
  頭槌(くぶつち)の太刀にやられて 痛手を負わないとするなら、
  ニホ鳥のように 水に潜るしかない。

こうして二人共に、瀬田の渡し場で身を投げて死にました。その時武内宿禰は歌を詠んで言いました。
  淡海の 瀬田の渡し場に 潜る鳥
  目には見えないので 本当に身を投げたかどうか分からなくて、
  溜息がでる。
そう言って、その遺体を探させたけれども、見つかりませんでした。こうして数日して、ウヂ川に出ました。武内宿禰はまた歌を詠んで言いました。
  淡海の 瀬田の渡し場に 潜る鳥
  田上を過ぎて ウヂで捕まえた。

冬10月の癸亥(みずのとゐ)の朔甲子(きのえねー2日)に、群臣は皇后を尊んで、
皇太后(おおきさき)と呼びました。この年、太歳辛巳(かのとみ)。摂政元年としました。

2年の冬11月の丁亥(ひのとゐ)の朔甲午(きのえうまー8日)に、仲哀天皇を河内の国の長野の陵に埋葬しました。

3年の春正月の丙戌(ひのえいぬ)の朔戊子(つちのえねー3日)にホムダワケの皇子を立てて、皇太子としました。そうして、磐余(いわれ)に都をつくりました。これを若桜の宮といいます。
                                           (略) 
                                          (つづく)




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