オキナガタラシ姫(Ⅰ)(じんぐうこうごう)

息長帯比賣命(Ⅰ)  (神功皇后)

 オキナガタラシ姫の命は仲哀天皇の大后(おおきさき)です。
オキナガタラシ姫の命は神を招き寄せる方でした。

 仲哀天皇が筑紫の香椎(かしい)に宮を作られて、
熊襲の国を討とうとされた時に、ご神託を聞くことになりました。

 天皇が琴を弾いて、オキナガタラシ姫が神懸かりをします。
建内(たけうち)の宿禰(すくね)の大臣がサニワをしました。
サニワとは降りた神が、どなたか、本物か偽物かなどを
明らかにする人です。

 オキナガタラシ姫が神を招き寄せて、託宣をしました。
「西の方に国がある。
金銀を始めとして、目にも輝くいろいろな珍しい宝が沢山その国にある。
私が今その国を帰服させて与えよう。」と。

そこで、天皇が答えて申し上げました。
「高い所に登って西の方を見るけれども、国は見えません。
ただ、大海があるだけです。」
と言って、
「偽りをいう神だ。」
と言いながら琴を押し退けて、
それ以上お弾きにならず、黙って座ったままになりました。

 すると、その神は大変お怒りになって
「そもそもこの天の下はそなたの治める国ではない。
そなたは人間が行かねばならぬ、一本道に向かうがよい。」
と言われました。
一本道とは死への道です。

そこで、建内の宿禰の大臣が言いました。
「畏れ多いことです。我が天皇、やはりその琴をお弾き遊ばせ。」と。
そこで、そろそろと琴を取り寄せると、生半可(なまはんか)に
お弾きになりました。

 すると、どれほどの時間も経たないで、琴の音が聞こえなくなりました。
火をともして見ると、すでに崩御されていました。

そこで驚き懼(おそ)れて、殯宮(もがりのみや)に亡骸を安置しました。

 神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、
国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。
罪、穢れとは、生きながら獣の皮を剥ぐ罪、尾の方から剥ぐ罪、
田の畔(あぜ)を壊す罪、水路を埋める罪、他(略)です。

             *

 この大祓を済ませると、再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、
ご神託を求めました。

今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に宿る御子が治める国である。」
と諭されました。

そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。
我が大神さま、今お懸かかりになっているお方のお腹に宿る御子は
男御子か女御子か、どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。

さらに詳しく尋ねました。
「今、このように教えられる大神のお名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。

「これは天照大神の御心ぞ。
また、底筒男(そこつつお)、中筒男、上筒男の三柱の住吉大神ぞ。
今まことにその国を求めようと思うならば、
天の神や国の神、また、山の神、川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、
住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、
マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、
また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、
それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。

             *

 そこで、詳しく教えられた通りにして、軍勢を整えて、
船を並べて、西の方の国に渡られると、
海原の魚、大小を問わず、ことごとく御船を乗せて進みました。
その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。

その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、
完全に国土の半分まで達しました。

そこで、新羅の国王は恐れをなして、奏上しました。
「これからは天皇の命令に従って、御馬を飼育する者となって
毎年、貢物(みつぎもの)を載せた船を何艘も出して、
船の底が乾く間もないようにします。
棹(さお)や舵(かじ)が乾く間もないように、
天地の運行がとどまることのないのと同じように、
お仕えしましょう。」と申し上げました。

そう言う事で、新羅の国は御馬を飼育する部曲と定めて、
百済の国は海外の直轄地と定めました。
そして、御杖を占有権を表す印として、新羅王の門に突き立てて、
住の江(すみのえ)の大神の荒御魂(あらみたま)を
守護する神として祭り鎮めて、日本に戻られました。

           *

 ところが、その政(まつりごと)が終わらない内に
お腹の御子がお生まれになろうとしました。
そこで、子供が生まれないようにと石を取って御裳の腰に巻いて、
筑紫の国に渡って、その御子はお生まれになりました。

その御子がお生まれになった所を名づけて、
「宇美」(うみ)といいます。

 その御裳に巻きつけた石は筑紫の国の伊斗(いと)村にあります。
また、筑紫の末羅縣(まつらのあがた)の玉島の里に着いて、
その河のほとりでお食事をされました。四月の上旬でした。

そこでその河の中の石がごろごろした所で御裳の糸を抜き取って、
飯粒を餌にして、その河のアユを釣りました。

 この故事から、四月の上旬になると、
その土地の女の人たちは裳の糸を抜いて、
飯粒を餌にしてアユを釣ることが今に至るまで、続いています。

            *

 さて、オキナガタラシ姫の命は大和の国に御帰還される時に、
人々が忠誠心を持っているかどうか疑わしいので、
喪船(もふね)を一艘仕立てて、天皇の棺をその喪船に載せて、
先に「天皇は既に亡くなられた」と言い洩らさせました。

 こうして大和に向かう途中、御子の異母兄弟に当たる
香坂(かごさか)の王と忍熊王(おしくま)の王が
「オキナガタラシ姫が御子を連れて、大和の国にご帰還される。」と聞いて、
待ち受けて討ち取ろうと思って、
斗賀野(とがの)に進み出て、ウケイの狩をしました。

香坂の王がクヌギの木に上って座って見ると、
大きな怒った猪が出て来て、そのクヌギの木の根を掘って倒し、
その香坂の王を食い殺しました。

しかし、その弟の忍熊の王はこのウケイの大凶の結果を畏れずに、
軍勢を引き連れて、オキナガタラシ姫の船を待ちました。

 先頭を行く喪船は空の船なので、まずそれを奪い取ろうと攻めかかりました。
すると、喪船に隠れていた兵士たちが出て来て、戦いになりました。

 この時、忍熊の王は難波の吉師部(きしべ)の祖先の
伊佐比の宿禰を将軍とし、
オキナガタラシ姫の軍勢は丸邇(わに)の臣(おみ)の祖先の
難波根子建振熊(なにわねこたけふるくま)の命を将軍としていました。

 建振熊の命が忍熊の王の軍を追撃して山代まで行った時、
忍熊の王の軍は態勢を立て直し、互いに退かずに、戦いになりました。

 そこで、建振熊の命がはかりごとをして、敵に伝えました。
「オキナガタラシ姫の命はすでに亡くなりました。
だから、これ以上戦う理由が無い。」
そう伝令に言わせると、弓の弦を断ち切って、偽って服従しました。

 敵将軍はその嘘を真に受けて、弓の弦をはずし、
武器を収めました。
 すると、建振熊の命は頭の上で束ねた髪の中から、
仕込んでおいた弦を取り出し弓に張り、追撃をしました。

忍熊の王は逢坂に逃げ退いて、そこで応戦しました。
建振熊の命はさらに追い攻めて、沙沙那美で打ち破り、
ついに軍勢に切り込みました。

忍熊の王と伊佐比の宿禰は共に追い攻められて、
船に乗って海上に逃げて、歌を詠みました。

  さあ、お前。
  振熊のやつが痛手を負わないのなら、
  カイツブリが水に潜るように、
  我々が淡海の湖(琵琶湖)に潜ろうではないか。

と詠むと、そのまま湖に入って、共に死にました。
  (Ⅱへつづく)
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