ヤマトタケルの命は皇太子だった

ヤマトタケルの命(日本武尊)(1)

ヤマトタケルの命は皇太子だった


ヤマトタケルの命は別名を小碓の命、またの名をヤマトオグナの命と言います。
父は景行天皇、母は針間(はりま)のイナビノ大郎女(おおいらつめ)です。

二人の間の御子はクシツヌワケの王。次に大碓(おおうす)の命
次にヤマトタケルの命、次にヤマトネコの命。次にカムクシの命の五人です。
景行天皇の御子の数は全部で合せて八十人でした。

その中で、ワカタラシヒコの命とヤマトタケルの命とイホキノイリヒコの命の三人が
皇太子となっていました。
その他の77人はことごとく国々の国造(くにのみやつこ)、和気(わけ)、
稲置(いなぎ)、縣主(あがたぬし)として、他国に遣わされました。

三人の皇太子のうち、ワカタラシヒコの命がのちに天皇に即位されました。
ヤマトタケルの命は東西の荒ぶる神、また、まつろわぬ人たちを平定されました。

兄は父天皇の妾を横取りした

ある時、景行天皇が美濃の国の大根王の娘のエヒメ、オトヒメの二人の乙女が
とても容貌が麗しいとお聞きになって、大碓の命を遣わして、お召しになりました。
ところが、大碓の命は天皇の所には連れて行かず、
二人とも自分の妻にしてしまいました。
そして、代わりの女たちを探して、エヒメ、オトヒメだと偽らせて、奉りました。

しかし、景行天皇はこの二人は偽物だと気づいて、いつも見るだけで、共寝をされず、
二人をお苦しめになりました。

こうして、その大碓の命がエヒメを妻として生まれた子供はオシグロのエヒコの王。
又、オトヒメを妻として生まれた子供はオシグロのオトヒコの王です。

ヤマトタケルの命は兄を殺した

天皇がヤマトタケルの命に言いました。
「どうして、そなたの兄は朝夕の食事に出て来ないのだろうか。
お前から出てくるように、うまく諭してくれ。」と。
そう言われてから5日経ってもやはり、顔を出しませんでした。

そこで、天皇はヤマトタケルの命に尋ねました。
「どうして、そなたの兄は長らく食事に顔を出さないのか。
もしかしたら、そなたはまだ話していないのか。」
とお尋ねになったので、ヤマトタケルの命は、
「とっくに言いました。」と答えました。

そこで、
「どうやって諭したのか。」と言われると、
「あけがた兄が便所に入った時に、待ち構えて捕まえて、掴みつぶして、
手足を引きちぎって、ムシロに包んで投げ捨てました。」
と答えました。

天皇はヤマトタケルの命の猛々しく、荒々しい心に恐れをなして、言われました。
「西の方に熊曾建(くまそたける)が二人いる。
これらは、まつろわない、無礼な者たちだ。
だから、そなたが行って殺してくるように。」
とお命じになりました。

ヤマトタケルの命は出立の時に、その髪を額のところで結いました。
(これは15,6歳の少年の髪形です。)
そして、叔母にあたるヤマトヒメの御衣裳を頂いて、
剣を懐に入れて出発して行かれました。
                         (つづく)
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by himeluna | 2010-06-10 21:44 | ヤマトタケル(日本武尊)1-5 | Trackback | Comments(0)
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