武内宿禰・300歳のミステリーは計算ミスと解釈ミスが重なった?

                                    【日本書紀】

武内宿禰(9)

武内宿禰・300歳のミステリーは
計算ミスと解釈ミスが重なった?


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ミステリー1. 仲哀天皇は父が死んで36年目に生まれた!?
岩波文庫の日本書紀を現代語訳して来ましたが、〈注〉を見ると、仲哀天皇は父の日本武尊が死んでから36年目に生まれた事になると書いてありました。
「おっ、舎人親王たちは計算違いをしたな」と思いながら訳しました。西暦のような絶対年数がないので、かなり計算が難しそう。

ミステリー2. 神功皇后の妊娠期間がおかしい。
 
計算ミスに関しては、他にもあって、神功皇后の妊娠期間の十月十日(とつきとおか)について、1か月を30日で計算しているらしいです。
現代では妊娠期間は280日と基準が決められているそうです。日本書紀の計算で行くと、30日×10月=300日。プラス10日で310日になります。すると、40日の差が出ます。この辺りの計算ミスが、応神天皇の父は仲哀天皇ではないという噂の原因にもなっています。

ミステリー3
事実を想像すると、皇太子が16歳頃に応神天皇として即位し、神功皇后はそのまま摂政として残って、まつりごとをした。その二人に武内宿禰がぴったりと付いて補佐をした。それがナチュラルな解釈じゃないかなと思ったのですが。それにしても、ずっと武内宿禰と三人で出てくるのも不思議な感じがしました。

長生きしたのは武内宿禰だけではなかったよ。

 武内宿禰が300歳って何でだろうと思って訳したのですが、みんな100歳以上でした。(な~んだ。そうだったのか。)どうして、この辺りの編年が変なのか?訳をしながらの印象ですが、まずは神功皇后の年が100歳に無理に引き上げられて、全体が矛盾して行ったんじゃないかなと思いました。単なる勘です。

日本書紀は正史なので、中国にならって、年号をきちんと書かないといけないけど、ヤマトタケルとか、神功皇后とか、武内宿禰とか、この時代の人たちは伝説だけで、年号は伝わっていない。舎人親王たちは、それをなんとか辻妻合せをしたけど、うまく行かなかった。

と言う事で、日本書紀を編纂した舎人親王たちの計算ミスと、神功皇后と建内宿禰を長命にしようとした作為が重なった結果、年代がゴチャゴチャになっているなと想像しました。また、まさか、後世の人が天皇の即位期間と神功皇后の摂政期間を単純に足し算するとは思わなくて、人物順に記事を書いた。それを現代人が足し算してしまって、300歳という数字が出てしまったのではないかとも思いました。

年齢を延ばした意図と計算ミスと現代人の解釈ミスの三重の問題があるようです。このあたりを検証するには、朝鮮半島の歴史が分からないと、無理だなあ。

武内宿禰の伝承は筑紫にある。
ただ、「武内宿禰の死についての伝承がない」と岩波文庫には書いてありますが、福岡県の織幡神社にちゃんとありました。(『ひもろぎ逍遥』⇒織幡神社
武内宿禰が「風土記」に書いてないからといって、空想の人物と断定するのは、無理です。
香椎宮の近くには武内宿禰屋敷というのが伝わっています。また、宮地嶽神社付近にもその子孫の人の伝承が残っています。他にもまだ述べてない伝承もありますが、玄海灘を中心とする伝承を総合すると、武内宿禰はかなり大きな勢力を持った大王クラスの人だと思われて来ました。

対新羅について

韓半島との関係の記事もいろいろ出て来てびっくりしました。(ルナは何にも知りませんでした。)新羅とは交戦し、百済には援助という構図が分かりました。今回は武内宿禰に絞ったので、対韓半島に関わる他の記事は省略しましたが、神功皇后の所にはバンバン出て来ています。いつか全体の訳を試みようと思います。ここを押さえると、歴史家たちの言っている事が分かるようになるけどなあ。と思いながら…。

謎の名前交換

応神天皇は「気比の大神」と名前の交換をしています。気比の大神は、武内宿禰と関わりのある所です。(⇒織幡神社)応神天皇はそれに加えて自分の子供が生まれると、これまた武内宿禰の子供と名前を交換しています。二人の子は同じ日に生まれたとか。名前の交換は重量な出来事ですが、理由は分かりません。彼の霊力に預かりたい親心のような…。あるいは倭の支配者の交換か。とにかく、武内宿禰がかなりのヒーローだったのが見えて来ました。これからも、目が離せません。彼の本貫地もうっすらと見えて来ました。コツコツと調べて行きます。


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by himeluna | 2010-08-02 19:01 | 武内宿禰(たけしうちのすくね) | Trackback | Comments(4)
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Commented by くじら at 2010-11-17 07:38 x
るなさま、ご無沙汰しています。武内宿禰の記事、楽しく拝見させていただきました。よくまとめられましたね。あまり大きな声では言えませんが、実は高良大社に伝わる秘伝の書  高良紀には本社祭神と神宮皇后は夫婦となり云々、とあり、今、調査中ですが神宮皇后崩御ののち、河内の宮から高良山へと豊姫はじめ三種の神宝を持ち遷宮しているようです。八葉の列石(神籠石)を築き、先住の高木の神を閉め出した伝説はその際の故事ではないでしょうか。また、高良大社 奥の院は、古くは[高良廟][ 御神廟]と称し、高良の神である武内宿禰の葬所と伝えられています。高三瀦の塚崎(御廟塚)に奉葬されたとも言われています。古代の筑紫にまつわる謎は相当深いことを実感しています。
Commented by himeluna at 2010-11-17 17:19
この武内宿禰の記事は、日本書紀の五冊の文庫本の中でも、まるまる一冊以上、載っていたので、苦労しました。
久山町でも、竹内宿禰を高良の神としている神社が有ります。住吉大社の、「神功皇后と住吉の神の関係」は有名ですね。(裏で)高良大社、その記事はかなり興味があります。竹内宿禰の住まいなども、久留米のとある所をにらんでいます。もちろん、伊都から宗像まで、重要拠点が沢山あります。高良紀は、是非読んでみたいのですが、出版などされているのでしょうか。よかったら、教えてくださいね。
Commented by くじら at 2010-11-17 23:19 x
高良記は正式には高良玉垂宮神秘書同紙背といい、近世まで最高祭司職である大祝しか閲覧を許されていませんでした。1972年に高良大社から公版されています。Amazonの中古書から入手出来ます。久留米の武内宿禰の住まいの記事、愉しみに待っています^-^)/
Commented by himeluna at 2010-11-18 09:22
情報ありがとうございます。
住まいの近くは破壊され尽くして、証拠をあげる事は難しいでしょうが、何とか、アプローチしたいと思います。これからも、応援よろしくお願いします。
スペルボーン(Spellborn)