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武内宿禰と神功皇后の系図・二人は遠い親戚だった

                                    【日本書紀】

武内宿禰(10)

武内宿禰と神功皇后の系図
二人は遠い親戚だった

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記紀から分かったのは、神功皇后武内宿禰は、香椎宮以来、ずっと一緒にいるらしいという事です。1800年たった今でも、二人の仲が噂されています。これに関しては別に意見はないのですが、系図を描いていて、同じ孝元天皇の名前が出てきたので、「あれ、二人は同じ先祖?」と思って、二人の系図を並べてみました。

孝元天皇はウチシコオの妹と娘を娶っています。この婚姻のパターンはこれまでも、いくつも出て来たので驚く事ではないけど、ウチ家天皇家が強く結ばれているに驚きました。
神功皇后の母方はアメノヒボコなので、彼女は新羅の王家天皇家の両方の血筋を持っています。そんな彼女が新羅と戦うのだから、これまた面白い。

ルナの妄想ですが、神功皇后は新羅の王家の末裔でもあるので、まだ新羅の王位継承権を持っていて、それを主張しているのではないかと考えました。新羅の役というのは、彼女が新羅の王であるという事を確認させた戦いではないか。だから、いとも簡単に勝つ事が出来た。彼女の他での戦い方のパターンを見ると、そんな気がしてなりません。

系図は見るより、書いている時が楽しい。その時に発見が沢山あります。今回、知ったのは天皇家はウチ家そのものだったという事。そして、ウチ家の代表となる人物が武内宿禰でした。古代日本は武内宿禰の研究があってこそ、明らかになるのが分かりました。

「ウチ家と天皇家」の「武と祭祀」が強力に組み合わさったのが、「武内宿禰と神功皇后」。この二人を正史としてどう組み込むかを舎人親王らは苦心しています。無理を重ねて矛盾だらけにしてしまいましたが、彼らの目的は一応達成されました。

武内宿禰を白髯のおじいさんという古い人物像で惑わされてはいけない。壮年の生き生きと倭を生きる人物として捉える事が、古代史の真実を明らかにする事になります。

この時代を把握するには、環日本海の視点で捉える必要があります。地図を逆さまにして見て、固定観念をはずして、はじめて真実に近づく事が出来ます。

まだまだ、パズルのピースは不足していますが、どこに行けばそのピースが手に入るのか、少しずつ見え始めました。


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