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住吉三神(底筒男神・中筒男神・上筒男神)

                                   【古事記】   

住吉三神(住之江の神)
底筒男神・中筒男神・上筒男神
 
三神の誕生

 イザナギの命は橘の小戸の阿波岐が原でミソギながら、多くの神々を生んだあと、「上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが弱い。」と言って、初めて中の瀬に潜ってすすぎました。その時に生まれた神の名は、
  八十禍津日(やそまがつひ)の神。
  次に大禍津日(おおまがつひ)の神。
この二神は、そのけがらわしい国に行った時の穢れによって生まれた神です。つぎにその禍(まが)を直そうとして、生まれた神の名は
  神直毘(かむなおび)の神。
  大直毘(おおなおび)の神。
  次にイヅノメの神。
次に水の底にすすぐ時に生まれた神の名は、
  底津綿津見(そこつわたつみ)の神。
  次に底筒の男(そこつつのお)の命
中にすすぐ時に生まれた神の名は、
  中津綿津見の神。
  次に中筒の男の命
次に水の上にすすぐ時に生まれた神の名は、
  上(うは)津綿津見の神。
  次に上筒の男(うはつつのお)の命
この三柱の綿津見の神は、阿曇(あづみ)の連(むらじ)らが祖神(おやがみ)として、お仕えする神です。また、阿曇の連たちは、その綿津見神の子のウツシ日金作拆(ひがなさく)の命の子孫です。その底筒の男の命、中筒の男の命、上筒の男の命の三柱の神は、墨の江の三前(みまえ)の大神です。

                           ☆ ☆ ☆

天皇の崩御と神託

オキナガタラシ姫の命仲哀天皇の大后(おおきさき)で、神功皇后の事です。

仲哀天皇が筑紫の香椎(かしい)に宮を作られて、熊襲の国を討とうとされた時に、ご神託を聞くことになりました。天皇が琴を弾いて、オキナガタラシ姫が神懸かりをします。建内(たけうち)の宿禰(すくね)の大臣がサニワをしました。サニワとは降りた神が、どなたか、本物か偽物かなどを明らかにする人です。
オキナガタラシ姫が神を招き寄せて、託宣をしました。
「西の方に国がある。金銀を始めとして、目にも輝くいろいろな珍しい宝が沢山その国にある。私が今その国を帰服させて与えよう。」と。
そこで天皇が答えて申し上げました。
「高い所に登って西の方を見るけれども、国は見えません。ただ、大海があるだけです。」と言って、
「偽りをいう神だ。」
と言いながら琴を押し退けて、それ以上お弾きにならず、黙って座ったままになりました。

すると、その神は大変お怒りになって、
「そもそもこの天の下はそなたの治める国ではない。そなたは人間が行かねばならぬ、一本道に向かうがよい。」
と言われました。一本道とは死への道です。そこで、建内の宿禰の大臣が言いました。
「畏れ多いことです。我が天皇、やはりその琴をお弾き遊ばせ。」と。
そこで、そろそろと琴を取り寄せると、生半可(なまはんか)にお弾きになりました。すると、どれほどの時間も経たないで、琴の音が聞こえなくなりました。火をともして見ると、すでに崩御されていました。そこで驚き懼(おそ)れて、殯宮(もがりのみや)に亡骸を安置しました。

神の怒りを解くために、神へのお供え物を捧げ、国中の人々の犯した罪や穢れを払う大祓(おおはらえ)をしました。罪、穢れとは、生きながら獣の皮を剥ぐ罪、尾の方から剥ぐ罪、田の畔(あぜ)を壊す罪、水路を埋める罪、他(略)です。

この大祓を済ませると、再び建内の宿禰の大臣がサニワとなって、ご神託を求めました。
今度も、神が教え諭す様子は、全く先日の通りで、
「そもそも、この国は、皇后のお腹の中に宿る御子が治める国である。」
と諭されました。そこで、建内の宿禰の大臣が言うには
「畏れ多いことです。我が大神さま、今お懸かかりになっているお方のお腹に宿る御子は男御子か女御子か、どちらでしょうか。」
「男御子ぞ。」
とお答えになりました。さらに詳しく尋ねました。
「今、このように教えられる大神のお名前を知りたいのですが。」
と求めると、すぐにお答えになりました。
「これは天照大神の御心ぞ。また、底筒男(そこつつお)、中筒男、上筒男の三柱の住吉大神ぞ。今まことにその国を求めようと思うならば、天の神や国の神、また、山の神、川や海の神に、ことごとく御幣を奉り、住吉大神の御魂(みたま)を船の上に祀り、マキの木の灰をヒョウタンの器に入れ、また、箸と柏の葉で作った皿をたくさん作って、それを皆大海に散らして浮かべて、渡るがよい。」
と言われました。

 そこで、詳しく教えられた通りにして、軍勢を整えて、船を並べて、西の方の国に渡られると、海原の魚、大小を問わず、ことごとく御船を乗せて進みました。その上、追い風も吹いて、御船は波が寄せるのに任せて行きました。その御船を乗せた波は新羅の国に押し上がって、完全に国土の半分まで達しました。

そこで、新羅の国王は恐れをなして、奏上しました。
「これからは天皇の命令に従って、御馬を飼育する者となって毎年、貢物(みつぎもの)を載せた船を何艘も出して、船の底が乾く間もないようにします。棹(さお)や舵(かじ)が乾く間もないように、天地の運行がとどまることのないのと同じように、お仕えしましょう。」と申し上げました。

そう言う事で、新羅の国は御馬を飼育する部曲と定めて、百済の国は海外の直轄地と定めました。そして、御杖を占有権を表す印として、新羅王の門に突き立てて、住の江(すみのえ)の大神の荒御魂(あらみたま)を守護する神として祭り鎮めて、日本に戻られました。


◆日本書紀には荒魂を山口県下関市に祭る話が出ています。
【日本書紀】
遠征軍に従った神、表筒男・中筒男・底筒男の三柱の神は皇后に教えて言いました。
「我が荒御魂を穴門の山田の邑に祭らせよ。」
その時、穴門の直(あたい)の祖・ホムタチ・津守の連(むらじ)の祖・タモミの宿禰が皇后に言いました。
「神が居たいと思われる所を必ず定めて奉斎するのがよろしいかと。」
そこでホムタチを荒魂を奉斎する神主としました。よって、祠(やしろ)を穴門の山田邑に立てました。
(穴門の山田の邑は下記の下関の住吉神社です)


住吉三神を祭る主な神社 (マイペディアより)
福岡市博多区住吉(筑前国一の宮)三神の和魂をまつる。 例祭10月13日
下関市一宮 (長門国一の宮)   三神の荒魂をまつる。  例祭12月15日
大阪市住吉区住吉(摂津一の宮) 三神と神功皇后をまつる。例祭6月30日
壱岐市                  三神の和魂をまつる。  例祭11月9日



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