襲津彦は新羅の人質に逃げられてしまう。

                                    【日本書紀】

葛城襲津彦(3)
かづらきのそつひこ 
襲津彦は新羅の人質・ミシコチを
護送する途中、逃げられてしまう。
新羅の草羅城を攻め落として捕虜を連れて帰る。

  
【神功皇后の巻】
それまでのあらすじ
神功皇后の軍勢は新羅に攻め入って、勝利する。新羅の王ハサムキムミシコチハトリ干岐(かんき)を人質として差し出した。高麗(こま)と百済も服従。これが三韓である。

神功摂政5年の春3月7日に、新羅の王ウレシホツ、モマリシチ、ホラモチたちを派遣して、貢ぎ物を持って来ました。それは先に人質となった、ミシコチ伐旱(ほつかんー新羅の官位)を返してほしいという心情からでした。

新羅の使者たちはミシコチ伐旱に謀り事を教えました。ミシコチは皇太后に欺いて言いました。
「使者のウレシホツとモマリシチたちが私めに言いました。
『新羅の王は、私めが久しく還らないので、妻や子供たちを皆捕えて奴婢としてしまった。』と。
願わくば、しばらく本土に還って、真偽を確認したいのですが。」と。

皇太后(神功皇后)は許可しました。葛城の襲津彦(そつびこ)を付けて派遣しました。共に対馬に着いて、鉏海(さひのうみ)の湊に泊まりました。その時、新羅の使者のモマリシチたちが密かに船と水手(かこ)を手配して、ミシコチ旱岐(かんき)を乗せて新羅に逃がしました。

その時、人形を作ってミシコチの布団の中に置いて、偽って病人のふりをさせて、襲津彦に言いました。「ミチコチが急に病気になって死にそうです。」と。

襲津彦は人を送って病人を見に行かせました。そこで騙された事が分かって、新羅の使者三人を捕えて牢屋に入れて、火をつけて焼き殺しました。そして、新羅に行って、蹈鞴津(たたらのつ)に行き、草羅城(さわらのさし)を攻め落として帰国しました。この時の捕虜たちは今の桑原、サビ、高宮、忍海(おしぬみ)たちの、四つの邑の漢人(あやひと)らの始祖です。

※西暦 205年の事です。

                                           (つづく)
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