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神功皇后(4)小山田邑にて祟る神を明らかにする

                                    【日本書紀】

神功皇后(4)

小山田邑にて祟る神を明らかにする。


仲哀9年、春2月に、仲哀天皇が筑紫の香椎宮で崩御された時、皇后は、天皇がご神託に従わなかったために早く崩御された事に心を痛めて、考えました。

祟っている神を明らかにして、神の勧める財宝の国を求めようと。そこで、群臣や百寮たちに命じて、国中の罪を払い清め、過ちを改めて、さらに斎宮を小山田の邑に作らせました。

 3月の1日に、皇后は吉日を選んで、斎宮に入って、自ら神主となりました。その時には武内宿禰に命じて御琴を弾かせました。中臣の烏賊津(いかつ)の使主(おみ)を召して審神者(さにわ)としました。

そしてお供えの織り物をたくさん、御琴の頭と尾のところに供えて尋ねて言いました。
「先の日に天皇に教えられたのはどちらの神でしょうか。願わくは、その御名を教えて下さい。」と。
七日七夜経って、ようやくお答えになりました。

 「神風の伊勢の国の度逢県(わたらいのあがた)の五十鈴の宮にまします神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかき・いつのみたま・あまさかる・むかつひめのみこと)。」と。

烏賊津の使主がまた尋ねました。
「この神以外に他の神はいらっしゃいますか。」
お答えがありました。
「旗のように靡くススキの穂が出るように出た吾は、尾田の吾田節(あがたふし)の淡郡(あはのこほり)にいる神である。」と。

「他におられますか。」
天事代虚事代玉櫛入彦厳之事代神(あめにことしろ・そらにことしろ・たまくしいりびこ・いつのことしろのかみ)有り。」

「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
そこで、審神者が言うには、
「今答えずに、また後に出て来られることが有りますでしょうか。」
すると答えがあった。
「日向国の橘の小門の水底にいて、海草のように若やかに出てくる神、名は表筒男(うわつつのを)、中筒男(なかつつのを)、底筒男(そこつつのを)の神がおる。」と。
「他におられますか。」
「いるかいないか分からぬ。」
ついに他に神がいるとも言いませんでした。その時に神の言葉を得て、教えの通りにお祭りをしました。
(つづく)


祟る神は、天照大御神、不明神、事代主神、住吉三神でした。

2月5日に仲哀天皇が崩御されて、竹内宿禰が豊浦宮に遺体を送って22日に戻ってくると、3月になって、神功皇后は小山田邑で7日7晩祈って、ようやく神の名を告げられます。

この小山田邑は福岡県古賀市小山田にあります。狭小な地で、秘密が守りやすい地形です。(『ひもろぎ逍遥』にて)

小山田斎宮 (1)(2) 福岡県古賀市小山田 オキナガタラシ姫の神懸かりの地を捜して

このブログを書いた時点では、もう一つの候補地福岡県粕屋郡久山町の「山田の斎宮」と比較しながら、「小山田邑」が正しいだろうと結論付けました。

その後、香椎宮の木下宮司が小山田邑の方に「小山田斎宮」と揮ごうをされた事によって、結論が補強されました。木下宮司は古事記のドイツ語訳を50年かけて完成させています。自社で起きた事件について、私より深く論考された結果によるものと思います。

なお、もう一つの「山田の斎宮」は神功皇后が皇子を出産して後、大和へ向かうまで住んだ聖母屋敷です。群臣と百寮も共に住むにふさわしい広い土地です。

この宮を中心として、竹内宿禰は厳重な守備態勢を整えました。その伝承が伝わるのが「黒男神社」です。(『ひもろぎ逍遥』にて考察)

斎宮(いつきのみや) 福岡県粕屋郡久山町山田 
(Ⅰ)神功皇后の神懸かりの地を捜して   二つの斎宮候補地
(Ⅱ) 二つの斎宮の謎が解けた

黒男神社 福岡県粕屋郡久山町
(1)武渟川別命の子孫・阿部氏が武内宿禰を祀る宮 古代の陣営あと
(2)武内宿禰がすべてをかけて守ったもの


香椎宮 小山田斎宮 斎宮(聖母屋敷) 黒男神社

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