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景行天皇(2)妃と御子たち

                                    【日本書紀】

景行天皇(2)

妃と御子たち

景行4年の春2月11日に、天皇は美濃に行きました。左右に控える者が、
「この国に美人がいます。弟姫(おとひめ)といいます。美しい顔をしています。八坂のイリビコの皇子の娘です。」と言いました。

天皇は妃にしようと思って、弟姫の家に行きました。弟姫は天皇が来られたと聞いて、すぐに竹林の中に隠れました。天皇は、それなら自分の所に来させようと考えて、泳宮(くくりのみや)に滞在しました。

鯉を池に泳がせて、朝夕これを見て遊びました。弟姫はその鯉が泳ぐのを見たいと思って、こっそりとやって来て池を見ました。天皇はすぐに姫を留めて、寝所に召しました。

しかし弟姫は夫婦の営みは昔も今も当たり前の事なのに、私はどうしてもなじまない、と思って、天皇に
「わたしは夫婦の営みになじめません。今は天皇の御威光のために、寝屋の帳(とばり)の中に召されていますが、どこか喜べないのです。

それに、私の顔は美しくしくもないし。これから先も後宮にお仕えするのは耐えられそうもありません。

ただ、私には姉がいます。八坂の入姫(いりひめ)と言います。とても綺麗な顔をしています。操があって、きよらかな心の人です。私の代わりに後宮に召し入れて下さい。」
と願い出ました。

天皇は許しました。こうして八坂の入姫を召して妃としました。入姫は7人の男子と、6人の女子を生みました。

第一はワカタラシヒコの天皇となります。
第二はイホキイリビコの皇子と言います。
第三はオシノワケの皇子と言います。
第四はワカヤマトネコの皇子と言います。
第五はオオスワケの皇子と言います。
第六はヌノシの皇女と言います。
第七はヌナキの皇女と言います。
第八はイホキイリビメヒメの皇女と言います。
第九はカゴヨリヒメの皇女と言います。
第十はイサキイリビコの皇子と言います。
第十一は吉備のエヒコの皇子と言います。
第十二はタカキイリビメの皇女と言います。
第十三はオト姫の皇女と言います。

また別の妃で、三尾氏のイワキワケの同母妹のミヅハノイラツメイホノの皇女を生みました。

次の妃のイカワ姫神櫛の皇子イナセのイリビコの皇子を生みました。
長男の神櫛の皇子は讃岐の国の始祖です。
次男のイナセのイリビコの皇子は播磨の別の始祖です。

次の妃、阿倍氏のコゴトの娘の高田姫タケクニコリワケの皇子を生みました。
これは伊予の国のミムラノワケの始祖です。

次の妃、日向の髪長オオタネ日向のソツビコの皇子を生みました。
これはアム君の始祖です。

次の妃、ソのタケ姫クニチワケの皇子クニソワケの皇子(=ミヤヂワケ皇子)とトヨトワケの皇子を生みました。
長男のクニチワケの皇子は水沼(みぬま)の別(わけ)の始祖です。
次男のトヨトワケの皇子は火の国の別(わけ)の始祖です。

以上天皇の男女の御子は前後合わせて八十柱います。

しかし、ヤマトタケルの尊とワカタラシヒコの天皇とイホキイリビコの皇子以外の七十余人は皆、国郡に封じて、それぞれの国に行かせました。
こうして今の世に諸国の別(わけ)というのは、この別王(わけのみこ)の末裔です。
                 (つづく)

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