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景行天皇(9)日本武尊の死と白鳥

                                   【日本書紀】   

景行天皇(9)

日本武尊の死と白鳥


(日本武尊が蝦夷討伐に行くと、敵は戦わずに降服した。)

日本武尊はノボ野に着くと病気がひどくなりました。そこで捕虜にした蝦夷たちを神の宮(伊勢)に献上しました。それから吉備の武彦を遣わして天皇に奏上しました。

「私は帝から勅命を受けて、遠く東の夷を討ちました。神の恩寵と帝の威光のおかげで、そむく者は罪に従い、荒ぶる神たちはおのずから降服しました。鎧甲を脱ぎ、鉾を収めて、心安らかに帰還の途についています。早く帝に復命の御挨拶をしようと思って。

しかし天命が尽きてしまい、私には残された時間が無くなりました。独り荒れ野に臥しています。誰と話す事もありません。この身が滅ぶのが残念でしかたがありません。もう帝にお会いできないのが哀しくてしかたありません。」
そうしてノボ野で亡くなりました。この時30歳でした。

天皇はそれを知って、寝ても覚めてもいたたまれず、食事をしても味がせず、昼も夜もむせび泣いて悲しみました。
「我が子、小碓の王よ。昔熊襲が背いた時には、まだアゲマキの髪を結う年にもならなかったのに長い戦いに出かけ、戻って来てからは私の側にいて力になってくれた。

しかし東の蝦夷たちが騒がしくなって、征伐に行く者がいなかった。大事な子供なのに賊との境に行かせてしまった。

一日たりとて、思わぬ日はなかった。もうそろそろ還って来る頃だと朝夕心待ちにしていたのに。いったい何の災いや罪があって、思いがけず愛する者を失くさなければならないのだ。これから先はいったい誰とまつりごとをすればいい。」
と嘆いて言いました。

それから群臣・百寮に命じて伊勢の国のノボ野の陵に埋葬しました。この時、日本武尊は白鳥となって陵から飛んで、倭国を指して飛びました。群臣たちが棺を開けて見ると、衣だけが残っていて遺体はありませんでした。

そこで帝は使者を遣わして白鳥を追わせました。すると倭の琴弾の原にいました。今度はそこに陵を作りました。白鳥はまた飛び立って河内に行って、旧市(ふるいち)の邑に留まりました。またそこに陵を作りました。

このために時の人はこの三つの陵を名付けて、白鳥陵と言いました。しかし、白鳥はついに高く飛翔して天に昇りました。そのために衣冠だけを棺に納めました。そして功績を伝える為に武部(たけるべ)を定めました。この年、景行43年でした。


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