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景行天皇(10)蝦夷その後

                                    【日本書紀】

景行天皇(10)

蝦夷その後
 

51年の春、正月7日に天皇は群臣を召して、宴を数日催しました。この時、皇子の稚足彦尊(わかたらしひこ)と武内宿禰は宴の庭に出て来ませんでした。

天皇が召して、その訳を尋ねると、
「このような宴の日には群臣百寮は必ず宴の遊びの方に心が行って、国家の事がおろそかになります。もし狂った人がいて宮の垣根の隙を狙いでもしたらと思い、門の所で非常に備えていました。」
と二人は答えました。

これを聞いて天皇は「もっともな事だ。」と言って、二人を格別に可愛がりました。

秋8月4日に、稚足彦尊を立てて、皇太子としました。この日、武内宿禰を棟梁(むねはり)の大臣に任命しました。

さて、前述の日本武尊の佩(は)いていた草薙の剣は、今は尾張の国の年魚市(あゆち)の郡(こおり)の熱田社にあります。

またこの頃、伊勢神宮に献上した蝦夷たちは昼夜大声で騒いで、礼節なく出入りしていました。倭姫(やまとひめ)は、「この蝦夷たちを神宮に近づけてはならない。」と言って、朝廷に送りました。

そこで、御諸山(みもろやま=三輪山)の麓に住まわせました。するとまもなく神山の木を切って、隣里には大声で呼ばわって、人民がおびえました。

天皇はそれを聞いて、群臣に
「神の山の麓に住まわせた例の蝦夷は、もともと獣のような心持ちなので、国の中には住まわせられない。向こうが望むように郊外に住まわせよ。」
と言いました。

これが今の播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の五つの国の佐伯部の祖となりました。




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